母の死後、ユーミンが生きる元気をくれた レスリー・キーさんの軌跡

有料記事

[PR]

 「ユーミンに会いたい」という一心で、シンガポールから来日し、20年以上にわたって松任谷由実さんを撮影し続けている、写真家のレスリー・キーさん。母を亡くして孤児となり、働きながらつらい日々を送っていた際、「ユーミンの曲にいつも元気をもらっていた」と振り返ります。

 Spotifyと朝日新聞ポッドキャストは、ユーミンの足跡と日本社会の変化を振り返る「ユーミン: ArtistCHRONICLE」を制作。7回目に特別ゲストとして、レスリーさんが出演しました。朝日新聞ポッドキャスト・チーフMC神田大介と、朝日新聞編集委員の宮坂麻子が語り合いました。一部を編集してお届けします。

神田:レスリーさんはシンガポール出身ですね。日本とはどういうご縁があるんですか。

レスリー:13歳のとき、シンガポールで日系工場で働きながら、日本の音楽をとても好きになりました。最初は松田聖子さん、中森明菜さん、早見優さんなどのアイドルの曲を1年間聴いていたけど、鈴木さんという大先輩に「アイドルも良いけど、シンガー・ソングライターはかっこいいよ」と言われ、最初に紹介してくれたのがユーミンでした。おすすめだった曲が「やさしさに包まれたなら」。「元々の名前は荒井由実。結婚してからは松任谷由実。でもみんなユーミンって呼んでいるよ」とも教えてくれました。

先輩が教えてくれたユーミン

 ユーミンという名前って、シンガポール人の私が聞くとすごくチャイニーズっぽい名前でしたから、非常に親近感があったんですよ。でも当時のシンガポールでは、日本の音楽番組はなかなか見られなくて、ユーミンの写真もまったく手に入らない。その後、鈴木さんがアルバムのレコードを見せてくれて、ジャケット写真を見て感動しました。今まで見たことのないデザインで、タイトルは「ダイアモンドダストが消えぬまに」。それがきっかけで、持っていたほぼすべてのお金を使って、初めてそのアルバムを買いました。

神田:そんなに印象的だったんですね。それから日本に来たんですか。

レスリー:1985年ごろから5年間ほど、ずっと工場で働きながら、貯金してユーミンのレコードを買って、たくさん日本の音楽を聴いて、自分で曲や歌詞、音楽の世界観を作れるシンガー・ソングライターをもっと好きになりました。もちろんユーミンから、中島みゆき竹内まりや山下達郎小田和正など、たくさんの曲を聴いて、本当にかっこいいと思った。「同じ人間なのに何でこんなことができるんだろう」と感じました。

 それで、私も少しずつ独学で日本語の勉強を始めました。そして、20歳ごろのとき、シンガポールで2年間の兵役を終えて除隊してから、親戚たちのお金を借りて、何とか日本に来ました。

神田:それで、東京ビジュアルアーツ写真学科を卒業することになるんですか。

レスリー:まず、日本語学校に行きました。日本語学校を卒業して、一定のレベルの学力がないと、日本の大学にも専門学校にも入れません。そして、何とか東京ビジュアルアーツに入学できました。

亡くなった母からのプレゼント

神田:その時にはすでに、写真の道に生きようと思っていたんですか。

レスリー:一番大きいきっかけは、私が小さい時、お父さんに会ったことがなく、お母さんも13歳くらいのころに亡くなったことです。若いときにそういう家庭環境で育ったので、家族の写真を全然持っていないんですよ。1歳のときと、3歳のときに、お母さんとの写真を1枚ずつ撮った以外は、写真がない。それがずっとコンプレックスでした。

 夏休み後の学校で、先生が「夏休み、どうでしたか」と聞いて、クラスメートが写真をシェアしているときもいっぱいあったけど、私はシェアできなかった。「なぜ友だちはみんな家族の写真がいっぱいあるのに、私には2枚しかないの」と。すごくうらやましかった。

 それで4月5日、13歳の誕生日のときに初めてお母さんに「どんな誕生日プレゼントがほしい?」と聞かれ、思わず「カメラがほしい」と言っていた。本当は貧乏で、カメラを持てる家庭環境じゃなかった。「なんであのとき、カメラがほしいと言ったんだろう。大胆なお願いだったな」と思うけど、お母さんはがんばってカメラを買ってくれました。でも、お母さんはその年の8月に亡くなりました。

 お母さんが亡くなった後は、妹を撮ったり、学校の友だちを撮ったりしました。小さいときはシャイだったからなかなか話せなかったけど、カメラを持った自分自身が、友だちとの会話のきっかけになった。たくさんの人の写真を撮って、友だちになれたら良いなと思いました。改めて、お母さんがくれたカメラは、人生を変えてくれたなと思います。

神田:ユーミンの曲を聴いて、自分の気持ちに重なるところもあったんですか。

レスリー:日本語がわからなかったけど、なぜかユーミンのメロディーや声、歌の言葉がすごく心に響きました。13歳から20歳まではとても人生が大変でした。親がいなくて孤児院などの児童施設で暮らしながら、人生の意味を探していたときに、毎回ユーミンの曲を聴いたら元気になっていましたね。

 そのうちに「とりあえず日本に行かないと。もっとユーミンの音楽を知るために」と。すごく素朴な発想だったんですよ。「日本ならユーミンのコンサートに行ける。パフォーマンスも見られる。ユーミンの歴史も学べる」と思って、日本に来ました。

スタジオでいつもユーミンをかけたら…

神田:実際に、写真家としてデビューしたのが1998年ですね。初めてユーミンと一緒に仕事ができたのは、いつなんですか。

レスリー:2001年5月です。もちろん、人生が変わった瞬間です。初めての撮影にも、またすごくご縁がありました。

 ユーミンは1980年代後半から90年代前半にかけて年末に一時期、講談社のファッション誌「ViVi」に4~8ページの特集を組んでいたんです。ユーミンのインタビューや写真、作家の林真理子さんなど有名人との対談も載っていた。

 で、私はデビューした199…

この記事は有料記事です。残り4719文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら