青春の後、ユーミンを楽しみにする感覚薄れた? 酒井順子さんの視点

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 「負け犬の遠吠え」で知られる酒井順子さん。著書「ユーミンの罪」で最後に取り上げたのは、1991年にリリースされたアルバム「DAWN PURPLE」でした。ユーミンの曲は、「負け犬の源流」を作ったとも酒井さんは語ります。その心は?

 Spotifyと朝日新聞ポッドキャストは、ユーミンの足跡と日本社会の変化を振り返る「ユーミン: ArtistCHRONICLE」を制作。7回目も、エッセイストの酒井順子さんをお招きして、朝日新聞ポッドキャスト・チーフMC神田大介(47)と、朝日新聞文化部記者の定塚遼(32)が語り合いました。一部を編集してお届けします。

神田:酒井さんの著書「ユーミンの罪」では、「DAWN PURPLE」という1991年リリースのアルバムで、記述は終わっているんですよね。

 1991年というと、湾岸戦争が起き、バブル崩壊の足音が聞こえていて、よく聞かれた言葉が「不正融資」「損失補塡」。一方で、「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」といったトレンディードラマが大流行しているんですよね。

 ここで「DAWN PURPLE」で歌われている曲が、また変わってきています。たとえば1曲目「Happy Birthday to You ~ヴィーナスの誕生」のテーマは出産です。あと7曲目に「誰かがあなたを探してる」という曲があるんですけど、なんとテーマがITなんですよね。まだ1991年ですよ。パソコンを持っている世帯がさて、どれだけあったのかなと。酒井さんは、IT系には詳しいんですか。

酒井:いや全然、詳しくないです。

神田:やっぱりでも、相当早いですよね。

「ちょっと早い」スピード感

酒井:やっぱり、この時にITを歌に入れ込むことの早さは、ユーミンならではで、早すぎるわけでもなければ、その時代ど真ん中でもないという。

 やっぱりユーミンって「ちょっと早い」というスピード感が特徴的だと思うんです。みんなが持っているわけじゃないけど、みんな知っていてどういうものなんだろうと思っているものを歌に取り入れているんですよね。

神田:そのあたりが、あこがれにつながるんですかね。

酒井:あと、これより少し前から、精神世界の歌が出てくる。これもやっぱりバブルという物質文明が爛熟(らんじゅく)した中で、物質とは正反対にあるものをさっと歌の中に入れるところが、すごくかっこいいと思った印象があります。恋愛を次々と繰り返す人がいっぱいいるなかで、純愛をテーマにしたというのもあったじゃないですか。

神田:「ダイアモンドダストが消えぬまに」「Delight Slight Light KISS」「LOVE WARS」という3枚のアルバムを、ユーミンは「純愛三部作」と言っていますね。

酒井:今風に言うと「逆張り」と言うんですかね。でも、戦略的にしているというよりは本能的にしている感じ。

定塚:1987年に「ダイアモンドダストが消えぬまに」を出しているのもすごいですよね。一見すると、バブルの中でサウンド的な明るさはありますけど、はかなさがあふれています。「サーフ天国、スキー天国」の時からあるのかもしれないですけど、時代を予見するような力というものがありますよね。

酒井:みんながゲームのように恋愛をしている時に、「そうじゃなくて今は純愛が新しいんだ」と言われた時の衝撃は今でもすごく覚えていて。恋愛ドラマでも、そうやって純愛がはやっていったんですよね。

青春時代ではなくなって…

神田:ただ、酒井さんの本は、この「DAWN PURPLE」をもって終わっているんですよ。その後のユーミンさま、酒井さんにとっての神様とのおつきあいは、どうなっていくんでしょうか。

酒井:自分が「DAWN PURPLE」の時点で24~25歳なんですけれども、だんだん大人になってきて、いわゆる青春時代ではなくなってきたんですよね。恋愛ソングと自分を重ねて、やきもきしたり、どきどきしたりする年頃からだんだん離れてきたことによって、ユーミンのアルバムを毎年楽しみにするという感覚が少しずつ薄れてきたところもあります。そんなこともあって私は、本の中では一区切りにしてみたんですけれども。

神田:でも実際の世の流れとも一致しているんですよね。「DAWN PURPLE」ですぐ終わったということではないんですけど、ユーミン自体も1996年に、年末にオリジナルアルバムを出さないということが来るんですよね。1995年まではほぼ毎年、出し続けているんです。

 ただ、最新の「ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~」の付録の映像で、ユーミンが「AI荒井由実」との対談で話しているんですけど、やっぱりずっと毎年ミリオンセラーを出して、アルバム売り上げ1位を続けるのは、本人にとってはつらいところもあったみたいですよね。そこから解放されたというか、自分を解放したという一面も、おそらくあるんだろうなと。

 日本もずっとイケイケで、アメリカのエンパイア・ステート・ビルも買っていた。そこから良くも悪くも、まあ悪い方が多いかもしれませんけど、解き放たれるという時代にはなってくるんですよね。酒井さんの生き方としても、そんな感じになっていたんですか。

酒井:私は大学を卒業して一度、会社員になったんですけれども。それこそ「DAWN PURPLE」の翌年に会社を辞めたので、人生的にもちょっと一区切りというところはありましたね。

1990年代のヒット曲は

神田:この頃、1991年が「DAWN PURPLE」ですけれども、1992年に記録的なアルバムがユーミン以外から出ているんですよ。DREAMS COME TRUEが「The Swinging Star」というアルバムを出していて、300万枚を超える大ヒット。中に入っている曲は「決戦は金曜日」とか「晴れたらいいね」ですね。そして、小室サウンドが席巻してくる時代です。酒井さんはちなみに、小室サウンドをどうお聴きになったんですか。

酒井:小室サウンドは完全に、下の世代の歌だと思っていました。

神田:ああ、ちょっと私とは違うなと。

酒井:ヒット曲はもちろん知っているんですけど、それと自分の人生がリンクしないんですよ。やっぱり青春時代の歌だと、何かを聴いて「私はあの時、こうしていた」というのが思い浮かぶんですけれども、小室サウンドではそれが全くない感じです。

神田:やっぱり、人生とリンクしているのはユーミンの方なんですね。

酒井:ですね。ユーミンだけではないんですけれども、一番心の柔らかい時代に聴いた歌になってきますね。

薄れた「自分だけのユーミン」

神田:ただ、この時期のユーミンが陰っていくことは、結構ニュースだったみたいです。たとえば、朝日新聞出版の雑誌「AERA」でも記事になっています。あと、アルバム「LOVE WARS」の頃から、放送作家山田美保子さんという人がユーミン批判的なことを始めるんですね。

 要は、ユーミンの曲ってCMソングになったり、ドラマのテーマソングになったり、数多いわけですよ。ユーミンは、私たちのあこがれの存在であってほしい。常に先を行く人であってほしいのに、自分たちと同じところに降りてきちゃっていると。こびないでというような趣旨で「ユーミン最近どうなの?」というところから始まっている。こういう感覚って、酒井さんはどう思われます?

酒井:確かに商業的なものとあまりにがっちり組んでしまうと、「自分のユーミン」として聴けなくなってくる面はあったと思いますね。

神田:酒井さんも「卒業写真」…

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