稲盛和夫さんは薩摩の風土に育まれた 行商もした「経営の神様」
京セラや第二電電(現KDDI)を設立し、経営破綻(はたん)した日本航空(JAL)の再建も果たした稲盛和夫さんは、強いリーダーシップや逆境にくじけない反骨精神などを故郷・鹿児島で身につけたとされる。足跡をたどると、のちに「経営の神様」とも呼ばれる人物が薩摩の風土に育まれ、地元をこよなく愛したことが見えてきた。
8月に90歳で亡くなった稲盛さんは、1932(昭和7)年に印刷店を営む父・畩市(けさいち)さん、母・キミさんの次男として誕生した。7人きょうだいの大家族で、鹿児島市薬師町(現・城西1丁目)で育った。実家の目の前を甲突川が流れ、対岸には1877(明治10)年の西南戦争で西郷隆盛が最期を迎えた城山がそびえている。
自宅に近い今の同市立西田小学校に通った。負けず嫌いで正義感が強い。自他ともに認めるガキ大将で、人を差配することやグループを掌握する面白さを知ったという。
自著に「鹿児島独特の郷中(ごじゅう)教育で鍛えられた」とも書いている。西郷ら幕末~明治の偉人も受けた薩摩藩士の子弟教育の仕組みが当時も校区に存続しており、心身を鍛錬したのは先生ではなく小中学校の先輩だったという。西郷を深く知り、尊敬するようになったのも郷中教育があったからだ。
一方、鹿児島大学稲盛アカデミーの吉田健一准教授によると、西田小の同窓会誌に「私が子供の頃でも(中略)封建的な階級意識が残っており、学校の出席簿には、氏名の後に平民と士族を区別する欄もあった」と寄稿している。特権階級による理不尽な振る舞いには、嫌悪感を抱いていたようだ。
小学校に入る前には、父に連…
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