血盟団、5・15事件… 「昭和維新」の寺 なぜ茨城の地に?

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編集委員・藤生明
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現場へ! 水戸学の道①

 「寺は荒れ放題だ」。そう聞き、茨城県大洗町を訪ねた。水戸市街地から車で30分。参道を進むと、昭和の右翼指導者、井上日召の像がある。左には「首相の指南役」四元義隆らによる昭和維新烈士の墓があった。

 寺は日蓮宗護国寺(旧立正護国堂)という。ちょうど90年前の血盟団、五・一五の両事件で、井上と学校教師や煩悶(はんもん)青年、海軍軍人らが会合を重ねた「昭和維新」の震源地だ。

 隣にスーパーがあるのに、境内は別世界の静けさ。「寺はボランティアで運営」と貼り紙があり、そこからたぐっていくと事情が少し分かってきた。

 長く住職だった和田日勇が2011年に死去。最近になって「無住」が続き、この春、ようやく新住職が決まったという。

 そこで、6月に再び訪ねると、目当ての人が読経の準備をしていた。この寺で修行した経験がある光枝浩生(59)。東京・新島の寺の住職で、供養のため大洗に毎月通うという。

 本堂に入ると、昭和維新の事件関係者の遺影が並んでいた。光枝は言った。「(寺を引き受けたのは)状況を見て、やむにやまれず。決起した人々もそんな気持ちだったかもしれない」

 むろん暴力肯定の意味ではない。ただ、「あの時代」を押さえておく必要はあるだろう。

 昭和初頭、日本には世界恐慌

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