東京で暮らしていた宮林葉子さん(55)は2003年の夏、かかりつけの産科で胎児エコー検査を受けた。
おなかの赤ちゃんに、先天性の心臓病の可能性があることを知らされた。
すでに妊娠中期の26週目に入っていた。
心臓は本来、四つの部屋に分かれている。
エコーによる画像では、それが認められなかった。
都内の大学病院を紹介され、詳しい検査を受けることになった。
胎児の向きによって、画像でとらえるのが難しい場合があり、何回か検査を受けて、ようやく「左心低形成症候群」だと診断された。
予定日の1カ月ほど前のことだった。
乏しい情報、低い生存率
けれども、どんな病気なのか、ちゃんと治るのかどうかを尋ねても、担当の産科医は言葉を濁すだけだった。
仕方なく、自分で医学書を見たり、インターネットで検索したりして調べた。
国内の情報は少なかった。
米国のネット情報まで検索したが、多くの情報では、手術の成功率は非常に低かった。
出産できたとしても、赤ちゃんがすぐに亡くなる可能性が高い、とあった。
葉子さんはそれまで感じたことがない恐ろしさを覚えた。
「国内では助からないという事例が多い。知れば知るほど、足元から暗闇に吸い込まれていくようだ」
厳しい現実を目の当たりにして、不安が募っていく。
親類の小児心臓外科医から、葉子さんの実家の近くにある長野県立こども病院に移れるならそうしたほうがよい、とすすめられた。
手術の成功率も高いという。
かかりつけ医の反対を押し切り
連絡が来たのが金曜日の夜、翌日の土曜日午前7時に、かかっていた大学病院の産科の外来に予約がないまま駆け込み、最後の受診となった。
帝王切開で出産する予定の6日前だった。
紹介状を書いてくれるように頼む葉子さんに医師は驚いた。
出産間近の妊婦が電車で長時間移動することに賛成できないと言った。
「自己責任ですよ、どうなってんもいいですね」と医師。葉子さんは、「先生の心配を振り切ってでも行きたいです」と返した。
ようやく紹介状を手にできると、そのまま特急あずさに乗って長野に向かった。
夫の誠さん(49)からいっ…
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連載患者を生きる
この連載の一覧を見る- 服部尚(はっとり・ひさし)朝日新聞記者
- 福井支局をふり出しに、東京や大阪の科学医療部で長く勤務。原発、エネルギー、環境、医療、医学分野を担当。東日本大震災時は科学医療部デスク。編集委員を経て現職。