6歳で捨てられ、12歳で路上生活…中国の名物丼はこうして生まれた
「瀋陽にしかない名物料理はなんですか」。そう問われ、即答できる人はきっと少ない。中国東北部の中心都市であるこの街に、記者として赴任してから3年余りとなる今、自分なりに一つの答えを示したいと思う。
それは「鶏架(ジージア)」だ。
瀋陽にゆかりのある人は「なるほど」と思ってくれたかもしれない。一方で「名物料理と呼ぶのは違う」との批判も覚悟している。なぜなら「鶏架」とは「鶏がら」だからだ。
日本ではスープのもとであり、「食べる物」との認識は一般的ではない。だしをとった後は捨てられてしまうことすらあるだろう。
だが、瀋陽ではその鶏がらを塩とトウガラシであえたり、しょうゆをぬって香ばしく焼いたり、クミンをまぶして炒めたりして、中に残されている肉を余すことなく食べる。
腹と気持ちを満たす「がら」
食べられるようになったのは高度経済成長が始まった1990年代の半ば。日本へ輸出されるなどしていた鶏肉の工場の「がら」が市内に多く出回り、やがて街角の食堂がそれぞれの工夫や味付けで出す定番メニューになっていった。
日本の支配が及んだ時代には奉天と呼ばれ、新中国の建国後には「鉄の街」として工業化を支えた瀋陽。この街には、昔も今も周辺の農村や小都市から多くの人が流れ込んでくる。経済の改革開放後、村の期待を背負い、歯をくいしばって建設現場で働く人、大都会で明日を夢見る貧しい学生。そんな人たちの「ちょっとでも肉を食べたい」との気持ちを満たしてきたのが鶏がらだ。そんな名物料理について、一人の料理人の生き様とともに伝えてみようと思う。
瀋陽市和平区の古い団地と飲食店が並ぶ一角に、鶏がらを看板料理に掲げる「欣月賈記炒鶏架」がある。昼時、店内の70余りの席はほとんど埋まり、持ち帰りを待つ人の列ができている。近くに音楽大学がある学生街で若者が目立ち、また、女性の比率が高い。多くの人がほおばっているのは、色の濃いたれがからまった鶏がらが、ほかほかのご飯の上に余すことなく盛られた「鶏がら丼」だ。
まず驚くべきは肉の多さ。「がら」でありながら、時には骨の何倍もの厚さの肉がついている。じっくり煮込まれているからか、歯に軽く触れただけで、ほろりとはがれ落ちてくる。甘辛のたれが鶏に、ご飯にと深くしみこんだ奥行きと一体感のある味わい。近い料理を挙げるとすれば、和食店で丁寧に仕上げられた照り焼き丼か。それが14元(約250円)で、腹いっぱい食べられる。
鶏がらは「炒め鶏がら」や「…