バイト生活→プロ野球→医学生 29歳が歩む「まだできる」の人生
寺田光輝さん(29)は三重県伊勢市で育った。中学でも高校でも野球部に入った。右投げの投手。レギュラーの経験は記憶にない。
それでも、プロ野球選手になりたかった。
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一度は地元の大学へ進んだが、3カ月で中退した。地元のスーパーで総菜づくりなどのアルバイトをしながら、1人でトレーニングを続けた。
中日ドラゴンズで活躍した中継ぎ右腕の浅尾拓也さんが好きで、投球フォームや練習方法を採り入れた。
ある日、筑波大へ進んだ高校時代の後輩とキャッチボールをしていて、言われた。
「球、速くなりましたね。今の筑波大でも、2、3番目に入ると思います」
筑波大は首都大学リーグの1部に所属する強豪校だ。過去にプロ野球からドラフト指名された選手もいる。
「受けるだけ、受けてみるか」
思い立って体育専門学群を受験し、合格。20歳の春だった。
筑波大では、入部早々に「中継ぎ」を命じられた。
短い回で力を出し切るため、20メートルの全力疾走を20本繰り返すなど、瞬発力を高める練習を1人で考え、取り組んだ。4年生のころには1軍の試合でベンチ入りできるようになった。
ただ、このレベルでは、プロ野球から声がかかるはずもなかった。就職活動し、地元の銀行から内定をもらった。
そんなとき、筑波大の指導者…