甲子園は兄の言うとおり 熊本から浦和学院に進んだ球児

高岡佐也子
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(21日、高校野球選手権大会 浦和学院3-4日大山形)

 一塁ベンチから三塁コーチスボックスまでの約50メートルを18回、全力で走った。

 浦和学院の内野手倉岡弘道は、熊本県出身。5年前の春、地元が大きな地震に襲われた。夏、阿蘇中央の主将でエースだった兄の真聖(まさきよ)さんが、被災地を代表して第98回大会の開幕試合の始球式に招かれた。

 当時は中学1年生。三塁側の客席から見守った。兄は毎朝毎晩、素振り、ランニングを欠かさなかった。大歓声のなかマウンドに立つ姿が誇らしかった。一方で、「あんなに努力していたのに」と、熊本大会2回戦で敗れた兄の無念を思った。決めた。「今度は自分の番だ」と。

 中学3年の夏、第100回大会のテレビ中継に釘付けになった。浦和学院の選手たちが、攻守交代はもちろん、道具を準備する時でさえ全力で走っていた。中学では1番遊撃手、50メートル走5秒9と足の速さが自慢だった。「自分の力を試すならここだ」。約850キロ離れた埼玉県への進学を決めた。

 入学後、先輩のノックの走者役も大事な勝負の時間だった。一塁なら全力で駆け抜けた。二塁や三塁は遠慮なく滑り込んだ。そんな姿勢が認められ、1年秋には背番号6をもらった。

 2年の春と夏は応援にまわった。激しい競争に行き詰まると、地元で働く兄にLINEで相談した。「できることを全力で」。そう励まされ、苦手な打撃ではなく、バントや守備を磨いた。レギュラーにはなれなかったが、三塁コーチを任された。

 目標の場所に立てた高揚感を、サクサクとした土の上でかみしめた。「この舞台は最高だぞ」。兄から聞いていたとおりだった。高岡佐也子

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