もがく新戦力にかけた言葉は J1王者を築いた男の信念

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清水寿之
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 庄子春男さん(64)は今年1月、25年働いてきた職場の第一線から離れた。それまでの肩書は、J1で連覇を目指す川崎フロンターレの強化本部長だった。

 クラブの前身・富士通サッカー部のOBだ。プロ化に向けて動き出した1995年末から汗をかいてきた。

 「最初のフロントスタッフは自分を入れて3人だけ。広報からチケットの手配、グッズの準備まで何でもやった」

 監督や選手との契約などチームづくりの根幹を長年担った。

 貫いた信念がある。

 「第一印象を大事にする」

 2002年の6月だった。チームの練習に参加していた1人の大学生のプレーが頭に残った。周囲は別の選手を高く評価していたが、持論を曲げずに声をあげ続けた。

 そうして獲得したのが、昨季までプロ生活18年にわたってクラブを支えたMF中村憲剛さん(40)だった。

 「何かあれば相談してもらえるような、信頼関係をつくる」

 練習をクラブハウスの窓越しにながめるのではなく、選手やスタッフと同じ練習着に着替え、スパイク姿でピッチに立った。

 「チームを管理しているとか、チェックしているとか思われちゃダメ。一緒に戦う姿勢を持たないと一つになれないから」

 雨の日も風の日も、選手たちと同じ目線でいるよう心がけた。

 13年には、指揮を執って2年目の風間八宏監督(59)が開幕から6戦連続で勝ちを逃し、進退を危ぶむ空気が流れた。

 「試合の内容は悪くない」と庄子さんは感じていた。苦しむ指揮官を飲みに誘い、自分の気持ちを伝えた。

 「切るなんてことは考えていない。お前がいなくなるときは、俺も一緒だ」

 成績は持ち直し、3位でシーズンを終えた。5季にわたってチームを率いた風間監督がつくりあげた攻撃的なスタイルは、川崎の代名詞になった。

 17年には新加入の元日本代表MF家長昭博(34)が戦術になじめず、もがいていた。起用法に不満を抱き、他クラブが獲得に動いているという噂も耳に入ってきた。

 リーグが中断に入った夏場…

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