坂本龍一さんが思う原発政策 人類の犯罪、子どもの発想

有料記事東日本大震災を語る

聞き手・構成 小森敦司
写真・図版
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 東京電力福島第一原発事故の前から脱原発の活動を続けてきた世界的ミュージシャン、坂本龍一さん。アーティストは危険を察知し、人々に知らせる「炭鉱のカナリア」のような存在だと思っているそうです。「組織に属さない自由業なので、語る責任がある」とも。その言葉どおり、これまで原発や地球温暖化といった問題で、ためらわずに発言し、行動してきたことを私たちは知っています。今回、インタビューに応じたのも、「原発事故は全然、終わっていない」と語りたかったといいます。

 ――坂本さんにとっても、あの原発事故はショックだったんですね。

 「まさか、と。(原子炉の建屋が)三つも爆発するとは……。僕らの世代だと、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故が記憶から薄れないでいましたが、それと同じようなことが自分の国で起きてしまった。

 10年近くが経った今でも、溶け落ちた核燃料の状態がよくわかっていないですよね。ロボットを送り込んでも強い放射線ですぐに壊れてしまうといいます。人類の悲劇です」

 ――事故当時、レコーディングのため東京に滞在していたそうですね。

 「危ないと思って、(甲状腺を守る)ヨード剤を買おうと薬局に走ったけど、まったくない。知り合いの医師に聞くと政府が確保しているという。

 で、やはり自分たちも西の方にとりあえずは逃げるべきじゃないかと、関西や九州のホテルを調べてみたら、まったく空きがない。僕は普通の人より多少、原発に知識があると思っていたんですが……」

 「爆発した時、たまたま風向きが太平洋に向いていたようで放射性物質の多くは太平洋側に行ったそうですね。でも、当時の民主党政権の想定のように、首都圏を含む数千万人避難っていう事態も可能性としてはあったわけです」

 ――事故前から脱原発運動に関わってこられた。なおさら悔しい?

 「こんなに地震の多い国に5…

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