ガラパゴス的議論から脱却を 小熊英二さん(慶応大教授)

慰安婦問題特集 3氏に聞く

 慰安婦問題が1990年代になって注目されたのは、冷戦終結、アジアの民主化、人権意識の向上、情報化、グローバル化などの潮流が原因だ。

 冷戦期の東アジア諸国は、軍事独裁政権の支配下にあり、戦争犠牲者の声は抑圧されていた。元慰安婦は、男性優位の社会で恥ずべき存在と扱われていた。80年代末の冷戦終結、韓国の民主化、女性の人権意識の向上などがあって問題が表面化した。韓国で火がついた契機が、民主化運動で生まれたハンギョレ新聞の連載だったのは象徴的だ。

 日本でも、自民党の下野と55年体制の終焉(しゅうえん)、フェミニズムの台頭があり、経済大国にふさわしい国際化が叫ばれていた。

 情報化とグローバル化は、民主化や人権意識向上の基盤となった。しかし、このことは同時に、民族主義やポピュリズムの台頭や、それに伴う政治の不安定化も招き、慰安婦問題の混迷につながった。

 例えば、外交は「冷静で賢明な外交官が交渉にあたる秘密外交」が理想とされることが多い。だが、民主化と情報化が進んだ現代では、内密に妥協すれば国民感情が収まらなくなる。

 政府が強権で国民を抑えられた時代しか、秘密外交は機能しない。日韓政府が慰安婦問題の交渉で両国民を納得させる結果を出せなかったのは、旧来の外交スタイルが現代に合わなくなったのが一因だ。

 大きな変化を念頭にこの問題をみると、20年前の新聞記事に誤報があったかどうかは、枝葉末節に過ぎない。とはいえ、今や日韓の外交摩擦の象徴的テーマとなったこの問題について、新聞が自らの報道を点検したのは意義がある。また90年代以降の日韓の交渉経緯を一望し、読者が流れをつかむことを助けてくれる。

 違和感が残ったのは特集の構成だ。1日目に自紙の報道を振り返り、2日目に慰安婦問題で揺れる日韓関係を書いている。しかし本来は、日韓でどう問題化しているかが中心であるはずで、報道の細部など読者の多くにとっては二の次だ。

 こうした構成にしたのは近年、過去の慰安婦報道をめぐり朝日新聞がネットなどで批判されているからだろう。だが、特集紙面を読むと、当時は他の新聞もあまり変わらない文脈で報道していたことがわかる。

 この問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的だ。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」といった弁明を考えればわかるだろう。

 慰安婦問題の解決には、まずガラパゴス的な弁明はあきらめ、前述した変化を踏まえることだ。秘密で外交を進め、国民の了解を軽視するという方法は、少なくとも国民感情をここまで巻き込んでしまった問題では通用しない。

 具体的には、情報公開、自国民への説明、国際的な共同行動が原則になろう。例えば日本・韓国・中国・米国の首脳が一緒に南京、パールハーバー、広島、ナヌムの家(ソウル郊外にある元慰安婦が共同で暮らす施設)を訪れる。そして、それぞれの生存者の前で、悲劇を繰り返さないことを宣言する。そうした共同行動を提案すれば、各国政府も自国民に説明しやすい。50年代からの日韓間の交渉経緯を公開するのも一案だ。困難ではあるが、新時代への適応は必要だ。

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