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04月20日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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フォトギャラリー 昭和天皇戦後巡幸(1950年)会員登録が必要です

 今回の皇室とっておきフォトギャラリーは、昭和天皇の戦後巡幸のうち、1950(昭和25)年3月13日から4月1日に行われた四国巡幸(香川、愛媛、高知、徳島の四国4県と兵庫県に属する淡路島)の写真を紹介します。

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朝日写真フォトアーカイブ

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(おわけできない写真もあります)

  • 朝日新聞社が昭和天皇の四国巡幸終了後に発行した冊子「四国巡幸グラフ」に掲載された訪問先と経路図。3月12日に東京を出発、京都で一泊し13日に宇高連絡船で瀬戸内海を渡り、香川県に入られた。四国の海岸線に

  • 3月13日、香川県の高松市役所を訪問した後、同市の奉迎場・中央グラウンドに歩いて向かう際、歓迎に集まった人たちに帽子を振って応えられる昭和天皇。右後ろは三谷隆信侍従長

  • 14日、香川県大川郡志度町(現・さぬき市)にある県水産試験場で、養殖されているタイワンドジョウを興味深げにのぞき込まれる昭和天皇

  • 15日、高松市から小豆島に向かう際、関西汽船所有のお召し船・はやぶさ丸のデッキから双眼鏡を手に瀬戸内海の島々を眺められる昭和天皇。上の島影は源平合戦で知られる高松市の屋島。左上の写真は、はやぶさ丸に向

  • 16日、香川県丸亀市にある香川県同胞援護会が運営する青野山保育所で、戦争で親を亡くした子どもたちが「お店ごっこ」をして遊ぶ様子を参観される昭和天皇

  • 17日、愛媛県宇摩郡川之江町(現・四国中央市)奉迎場の川之江小学校で、日清戦争以来、数百人となる地域の戦死者の霊をまつっているという大きな位牌を持つ男性の話を聞かれる昭和天皇。どのような思いだったのだ

  • 新居郡角野町(現・新居浜市)の角野小学校で、校庭と別子銅山の斜面を埋め尽くすほど集まった住民に帽子を振って応えられる昭和天皇。奥に見えるのは内宮神社の鳥居

  • 西条市の倉敷レイヨン(現・クラレ)西条工場の敷地内で、西条市長代理から1946年12月に発生した、約1400人の死者を出した南海地震による地盤沈下被害と干拓状況の説明を受けられる

  • 19日、休養日となったこの日、松山市北西約2キロのところに浮かぶ興居島(ごごしま)に伝馬船で到着された昭和天皇一行

  • 興居島・船越の浜で、この島で発見されたためこの島の名がついている無脊椎動物のゴゴシマユムシを採集する昭和天皇。このひとときを「静かなる潮の干潟の砂ほりてもとめえしかなおほみどりゆむし」と詠まれている。

  • 20日、松山市の農業機械メーカー・井関農機で、脱穀機の実演を見学される

  • 22日、高知県に入り、高知市の国立高知病院を慰問に訪れ、入院患者に優しく言葉をかけられる

  • 23日、高知市の敷島紡績高知工場(現・シキボウ、同工場はすでに閉鎖)で、日の丸を振る従業員の奉迎を受けられる昭和天皇。左は田島道治宮内庁長官

  • 24日、室戸岬の植生や荒々しくそびえる岩を見学される昭和天皇

  • 25日、室戸岬・月見浜に集まり昭和天皇を歓迎する住民たち。同地では自然に感銘を受けたようで「室戸なるひと夜の宿のたましだをうつくしと見つ岩間岩間に」、「うつぼしだのこるもさびし波風のあらき室戸の磯山の

  • 25日、南海地震による大津波で壊滅的な被害を受けた徳島県海部郡浅川村(現・海陽町)の茶堂の鼻と呼ばれる場所で、南海地震の被害と復興状況について説明を聞かれる

  • 26日、紀伊水道に面した勝浦郡小松島町(現・小松島市)金磯で、南海地震による地盤沈下と高潮による塩害が耕地に与えた甚大な影響と復興状況の説明を聞かれる

  • 戦争遺族や引揚者、戦災者などが暮らす小松島厚生寮で、勝浦本吉寮長の説明を聞かれる昭和天皇

  • 徳島市の徳島公園で、徳島県子供民生委員代表の山本多恵子さんから、子供平和記念塔の説明を聞かれる昭和天皇。この塔は、子どもと平和を結びつけた子供民生委員活動を提唱した徳島県子供民生委員の呼びかけで、皇太

  • 30日、兵庫県の淡路島・津名郡志筑町(現・淡路市)の牛馬天覧場に立ち寄り、少年の連れてきた牛の顔を撫でる昭和天皇。この少年は同郡山田村から昭和天皇に牛をみせるため10キロ以上の山道をひいてきたという

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