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04月19日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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フォトギャラリー 昭和天皇戦後巡幸(1946年)後編会員登録が必要です

今回の皇室とっておきフォトギャラリーは、昭和天皇の戦後巡幸のうち、1946(昭和21)年3月から11月にかけて訪問した群馬、埼玉、千葉、静岡、愛知、岐阜、茨城の各県での写真を紹介します。

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朝日写真フォトアーカイブ

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(おわけできない写真もあります)

  • 1946年3月25日、群馬県行幸で国立高崎病院を訪れ、復員してきた元兵士の患者たちを慰問される昭和天皇

  • 富岡町の片倉工業富岡製糸場(旧官営富岡製糸場を合併)を訪れ、繰糸(そうし)の工程を視察される

  • 28日、埼玉県行幸で、熊谷郵便局電話部の屋上から、戦災からの復興が行われている熊谷市内を視察される

  • 川口市で鋳物製品を生産する国際重工業で、籾殻(もみがら)を燃料に米を炊く、籾かまど(ぬかくど)製造の様子を間近に視察される昭和天皇。ガス釜や電気釜が普及すると廃れてしまったが、昭和20年代は貴重な生活

  • 6月6日、千葉県行幸で、香取郡東大戸村(現・香取市)の水田を訪れ、雨上がりのぬかるんだあぜ道から田植えを視察される。戦後の食糧不足は深刻で1946年5月19日に宮城(皇居)前広場で食糧メーデーが起きる

  • 銚子市の県立銚子商業学校は、戦災で焼失した県立銚子水産、同工業、同高等女学校、市立若宮国民学校が校舎を共同利用していた。セーラー服にモンペ、げた履きで校庭に並んだ女学生に話をされる昭和天皇。右後方には

  • 6日夜、銚子市の新生(あらおい)貨物駅(現在は廃止)にとめたお召し列車の中で宿泊される昭和天皇。当時は、天皇が民間の宿泊施設に泊まる習慣がなかったうえ、多くの随員まで収容できる公共施設も確保できなかっ

  • 昭和天皇が銚子で列車内に宿泊した写真の裏に記載された、GHQ新聞検閲室の検閲済みの印が押された写真説明用紙。戦前に引き続き、言論機関への検閲が続いていたのだ。撮影後に朝日新聞大阪本社に電送された写真の

  • 6月18日、静岡県行幸で、戦災に遭った浜松市の国鉄名古屋鉄道局浜松工機部(現・JR東海浜松工場)を視察、工員と家族たちに出迎えられる昭和天皇。後ろは戦後巡幸の影の立役者だった松平慶民宮内大臣(左)と大

  • 日本楽器製造(現・ヤマハ)を訪れ、ギターや木琴、オルガンなどの製品をご覧になる

  • 10月22日、愛知、岐阜両県の行幸で、名古屋市中村区の海外からの引き揚げ者を仮収容する援護施設・名古屋寮を訪問。赤ちゃんを抱いた女性に慰めの言葉をかけ、励まされる。こみあげる思いに、泣き出す人もいた

  • 名古屋市役所を訪問された際の昭和天皇

  • 名古屋市役所前で、昭和天皇を歓迎する多数の市民が集まった。近くの大津橋から200~300メートルほどを歩いて市役所に向かう際、奉迎者に取り囲まれ30分以上かかった

  • 23日、愛知県中島郡稲沢町(現・愛知県稲沢市)の国鉄稲沢操車場を訪れ、国鉄職員らに挨拶される。右後方は稲沢機関区の給炭線にあるクレーン。稲沢操車場は中京地区の貨物列車組成の中心となる貨車操車場

  • 24日、名古屋市の熱田神宮を非公式に参拝された昭和天皇。昭和天皇実録によれば、事前にGHQに相談しており、公式参拝と見なされぬように注意して欲しいとの希望を受けて知事らは伴わず、少数の側近のみが供奉し

  • 岐阜県加茂郡古井町(現・美濃加茂市)の郡是(グンゼ)製糸美濃工場で、女性工員と笑顔で話をされる昭和天皇

  • 25日、岐阜市の京町国民学校での授業参観の様子。立って教科書を読む男の子は裸足で、当時の耐乏生活ぶりが伝わってくる

  • 11月18日、茨城県行幸で、日立市の日立製作所海岸工場を視察、産業用のポンプやモーターなどの製品の説明を聞かれる。昭和天皇の左後ろは戦後の教育改革に尽力した前文部相で学習院の安倍能成院長、左端は大金益

  • 水戸市の上市裡五軒町(現・五軒町)で、住民の歓迎に帽子を振って応えられる昭和天皇。茨城県行幸では「たのもしく夜はあけそめぬ水戸の町うつ槌の音も高くきこえて」、「水戸の町あけそめにけりほのぼのと常陸ざか

  • 水戸市の恩賜財団同胞援護会茨城県支部運営の白梅荘で、授産のミシン作業を見学される昭和天皇。ここでは、母子寮の部屋を訪ね、未亡人の入寮者に言葉をかけて回られた

朝日写真フォトアーカイブ

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