メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

04月25日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

フォトギャラリー 昭和天皇戦後巡幸(1946年)前編会員登録が必要です

今回の皇室とっておきフォトギャラリーは、昭和天皇戦後巡幸のうち、1946(昭和21)年2月から3月にかけて神奈川県と東京都を訪れた模様を記録した写真を紹介します。

写真をクリックすると、大きな画像が表示されます。環境によっては表示に時間がかかる場合があります。

朝日写真フォトアーカイブ

購入・利用については「朝日新聞フォトアーカイブ」へ
(おわけできない写真もあります)

  • 1945年3月18日、東京大空襲の後、焦土となった東京都深川区の富岡八幡宮周辺を視察される陸軍軍装の昭和天皇。後ろに蓮沼蕃侍従武官長、藤田尚徳侍従長、木戸幸一内大臣が続く。昭和天皇実録によると、同行し

  • 1946年2月、前年5月の空襲で焼失した宮城(皇居)の明治宮殿跡で、清掃奉仕をにあたった埼玉師範学校女子部の学生に声がけをされる香淳皇后。香淳皇后はモンペ型の宮中服を着用されている

  • 2月19日、戦後巡幸の第一歩として神奈川県東部の戦災地を訪問、爆撃で屋根や壁が抜けた川崎市扇町の昭和電工川崎工場を視察される背広にコート姿の昭和天皇。昭和電工は当時屈指の化学肥料会社だった

  • 昭和電工川崎工場で、従業員に生活状態などを質問し、話を聞かれる。右は後に東宮侍従長になる戸田康英侍従。この視察の模様は22日にNHKラジオで全国放送された

  • 横浜市西区藤棚町の空襲で全焼した稲荷台国民学校の焼け跡を視察した際、着の身着のままの衣装で迎えて頭を下げる子どもや老人に、帽子をあげて会釈される

  • 稲荷台国民学校の焼け跡に建てられた戦災者共同宿舎を訪問し、正座で迎えた被災者と話される

  • 空襲で焼け再建された神奈川区大口町商店街を、多くの住民が頭を下げて迎えるなか、徐行で進む昭和天皇の車列。道路に舗装はなく排水用の溝がある

  • 2月20日、厚生省浦賀引揚援護局の援護所で、女性や子どもの引き揚げ者に、帽子を取って励ましの言葉をかけられる。真冬でありながら、下駄や草履ばきの人もいる

  • 元陸軍軍人を収容する馬堀援護所で、南方方面から復員した将兵の間近に立ち、目を合わせながら声をかけられる

  • 2月22日、東京都芝区(現・港区)の済生会病院(現在の東京都済生会中央病院)を視察され、赤ちゃんを抱いた女性に笑顔で声をかけられる香淳皇后。当時、天皇と皇后の視察は別日程で組まれていた。この日、昭和天

  • 2月28日、第2回の戦後巡幸は東京都内の視察となった。都心の復興状況を屋上から展望するため、京橋区(現・中央区)の第一相互ビルに向かわれる昭和天皇。有楽町の第一生命ビルが連合国最高司令部に接収され、第

  • 日本橋区浜町(現・中央区)の焼け跡を整地している現場で、旧陸軍の戦車を改造したブルドーザーをご覧になる。周辺には米軍のMP(憲兵)やスピードグラフィックを手にしたカメラマンも見える

  • 小石川区(現・文京区)春日町の焼け跡に建てられた戦災者住宅を訪れ、最敬礼で迎える空襲に被災した住民に、帽子を取って歩み寄られる

  • 小石川区春日町の簡易住宅の建設状況を視察される

  • 新宿の伊勢丹百貨店で開かれた、開発されていた民需転換工場優秀製品展示会を訪れ、スパナなどの工具をご覧になる

  • 世田谷区の陸軍野戦重砲兵第8連隊跡地の旧兵舎を利用した戦災者の援護所で、整列して出迎えた子どもたちに声をかけられる。左後方は施設を運営している、キリスト教社会運動家で東久邇内閣の参与でもあった賀川豊彦

  • 麹町区(現・千代田区)の都立第一中学校(現・日比谷高校)の授業を参観。新制高校となるのは1948年4月から

  • 3月1日、みぞれまじりの雨のなか、北多摩郡府中町(現・府中市)の府中国民学校の施設を利用し、東京大空襲で戦災孤児となった本所区内(現・墨田区)の児童を収容するの東光学寮を訪れ、習字をする子どもたちと話

  • 南多摩郡日野町(現・日野市)の日野農業会で、供出される俵の米を手にとり、品質を確かめる

  • 南多摩郡横山村(現・八王子市)の陸軍幼年学校跡の農地に立たれる。左に立つ随員の2列目で、傘を持っているのは入江相政侍従

朝日写真フォトアーカイブ

PR情報

PR注目情報

注目コンテンツ

PR注目情報

  • 働き方・就活