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04月16日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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フォトギャラリー三笠宮さま100歳会員登録が必要です

昭和天皇の弟・三笠宮崇仁さまは2015年12月2日、100歳になられました。明治以降の皇族では最長寿です。今回のフォトギャラリーでは、三笠宮さまの100年を紹介します。[関連記事]

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朝日写真フォトアーカイブ

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  • 1916年、第1回御誕辰(お誕生日)を前に撮影された三笠宮(澄宮)さま

  • 1921年9月、欧州訪問から帰国した皇太子時代の昭和天皇と(右端から)秩父宮さま、高松宮さま、三笠宮(澄宮)さま。大正天皇が滞在していた日光御用邸に、欧州からの帰国報告でご兄弟が集まった

  • 1924年、沼津御用邸前の海岸で熱心に野球の練習に取り組む。野球少年だった

  • 1926年、関西旅行中に京都市で開催中の国産発明展の会場を訪れる

  • 1927年、神宮馬術大会をムービーカメラのシネ・コダックを手に映画撮影

  • 1934年、士官候補生として千葉県習志野の騎兵第15連隊に入隊、練兵場付近を行進する。澄宮さまは、学習院中等科を修了後に陸軍士官学校予科に入校され皇族軍人の道を進まれた。戦前の皇族は皇族身位令により、

  • 陸軍第15騎兵連隊繋馬場で、演習後わらを手に愛馬の「富正」の手入れをする

  • 騎兵の武器携帯教練で、仮標を斬撃する

  • 1935年、甲子園球場で第21回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)を観戦。この年の12月に成年式を迎え、三笠宮家を創立された

  • 1936年、習志野騎兵第15連隊の水馬演習に参加。千葉県の谷津海岸で海中を進む

  • 1936年、陸軍士官学校本科生として満鮮視察へ出発される際、東京駅には見送りの士官学校生が続々と集まった

  • 満州視察の際、大連で

  • 1941年10月、三笠宮さまとの結婚を翌月に控えた高木百合子さん。百合子さんは貴族院議員高木正得子爵の次女で、3月にご婚約が発表されていた

  • 10月、高木百合子さまとのご婚儀で、皇居で行われた賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀を終え青山東御殿に戻る三笠宮さまと百合子さま

  • 三笠宮さまと百合子さまの結婚を祝い、青山東御殿近くの沿道に集まった人たち

  • 結婚後に高木家の親族と午餐をともにする御里開きで、麴町区霞ケ関にあった華族会館の前に到着した三笠宮さまと百合子さま。後方は出迎えた高木正得子爵

  • 1943年、中国勤務時代に内蒙古を視察、包頭(パオトオ)南方で黄河を渡る三笠宮さま。軍による検閲で、同行者の肩章を消せとの指示が写真に書き込まれている。皇族軍人であることを秘匿するため、お印にちなんだ

  • 1944年、中国勤務から帰国し、東京・羽田飛行場で出迎えを受ける三笠宮さま。大本営陸軍参謀、機甲本部付を経て、航空総軍参謀として終戦を迎える。後方は三菱100式輸送機(キ57)

  • 1946年、空襲で青山の御殿が焼失、戦後は神奈川県葉山町に仮住まいしていた三笠宮さま。皇族会の幹事の仕事の際には混雑する横須賀線で通勤していた。切符も自分で買い、満員電車の中で皇族とは気づかれないので

  • 1946年9月25日付のアサヒグラフ「宮様告知板」に掲載された、神奈川県葉山町に仮住まい中の三笠宮ご一家の様子

  • 1947年、朝日新聞の企画記事「選挙あちこち座談会」に、東大の学生と共に参加。当時、東大文学部の研究生となり、西洋史を学ばれていた。旧約聖書をヘブライ語の原典で読まれるなどし、古代オリエント史に深くか

  • 1949年、広島を訪れ、アメリカのジャーナリストに初めて自らのケロイドを見せたことで「原爆1号」と呼ばれていた吉川清さんの背中一面のケロイドと手術痕の説明を受ける三笠宮さま

  • 1950年、社会を明るく、楽しくする健全なレクリエーション普及させようと東京・渋谷で行われたスクエア・ダンス大会で踊ってみせる三笠宮さま

  • 1955年、長野県の軽井沢にある三笠宮別邸を訪れた昭和天皇、香淳皇后と歓談する三笠宮さま。右へ憲仁(高円宮)さま、百合子さま、寛仁さま、宜仁さま(桂宮)さま

  • 1956年、東京・渋谷で文学座慈善公演の「ハムレット」の出演者たちと歓談する(左から)三笠宮さまと百合子さま、義宮さま、高松宮妃喜久子さま、秩父宮妃勢津子さま、清宮さま。後列は杉村春子(右端)、芥川比

  • 9月、古代オリエント史の学術調査と研究でイランとイラクを訪問。イランのラムサールにある離宮にパーレビ国王を訪ねた三笠宮さま

  • ラムサールの離宮前に広がるカスピ海とカメラをお持ちの三笠宮さま。この旅で撮影されたカラー写真を載せた旅行記『乾燥の国』を出版された。乾いた大地に湿潤な気候のもたらすカスピ海沿岸の風土に強い印象を持たれ

  • 学術調査に立ち会うため訪問したイラクでは、アラブ風に右手で食事をされる

  • 10月、イラク北部のテル・サラサートで東京大学イラク・イラン遺跡調査団の発掘が始まり、鍬入れする三笠宮さま。中近東の遺跡を日本人が発掘する初めての試みだった

  • 1957年、古代オリエント史の講演会で、自ら撮影した写真をスライド映写しながら講演、右は手伝う百合子さま

  • 1958年、こども郵便局の表彰式で、表彰を受けた子どもたちと一緒に記念撮影。左は田中角栄郵政相

  • 1961年、英国のアレクサンドラ王女が来日、日英協会主催の歓迎レセプションに出席した三笠宮さまと百合子さま

  • 1964年、三笠宮さまの長女甯子さまの成年披露宴が東京・高輪の光輪閣で開かれ、昭和天皇、香淳皇后を迎える三笠宮さま、百合子さま、甯子さま

  • 1978年、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑拝礼式に出席された三笠宮さまと百合子さま

  • 1984年、京都で開かれた「氷上フォークダンスカーニバル」に特別出演が決まり「王様と私」の曲目に合わせ猛特訓する。当時は日本スケートフォークダンス協会名誉総裁も務められていた

  • 1984年、三笠宮さま三男・高円宮さまと久子さまの結婚披露宴で出席者を出迎える三笠宮さまと百合子さま、高円宮さまと久子さま、久子さまの両親の鳥取滋治郎さんと二三子さん

  • 1989年、韓国・ソウル市で行われた元朝鮮王侯族・李垠夫人の李方子さんの葬儀で、焼香をする三笠宮さまと百合子さま

  • 1991年、天皇、皇后両陛下が東南アジア訪問に出発、羽田空港で手を振って見送る(左から)常陸宮さまと華子さま、三笠宮さまと百合子さま、信子さま、海部俊樹首相

  • 1995年、秋の園遊会で招待者に会釈して会場を進む三笠宮さまと百合子さま

  • 2001年、三笠宮さまと百合子さまのご結婚60年を祝う会で記念撮影する(前列左から)信子さまと寛仁さま、三笠宮さまと百合子さま、桂宮さま、(後列左から)千政之氏(16代千宗室)、久子さまと高円宮さま、

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