「共感」だけでなく「共有」も。デジタル時代で変わった記事への思い
プロフィール
江戸川夏樹
朝日新聞東京本社 社会部 記者
2006年、朝日新聞社入社。広島総局、京都支局、大阪本社編集センター、東京本社文化くらし報道部、福島総局を経て、再び文化くらし報道部へ。演劇や音楽関係の取材や企画を担ったのち、「天声人語」補佐を経て、2019年春より社会部遊軍として精力的に取材を行い、記事を発信している。
国際問題や政治、経済、そして生活に関わる身近な話題まで、朝デジが提供する記事は多岐に渡ります。日々更新されるこれらの記事は、どのような記者が手掛けているのでしょうか。
今回、インタビューしたのは、社会部の江戸川夏樹記者。日々の暮らしのなかで抱いた疑問や気づきなどを多角的に掘り下げ、当事者や有識者・専門家の意見も取り入れて発信しています。普段、表に出ることが少ない記者の人となりや記事に込めた思いをお届けします。
目次
飽きっぽい性格だから記者に興味を持った
――社会部の“遊軍”と伺いました。最初に江戸川記者の仕事について教えてください。
朝日新聞には、長年一つの分野を追いかけている専門記者や警察や司法などの記者クラブでネタを追う記者や、「特にこれ」といった専門分野を持たない記者がいます。私は後者で、日々の暮らしのなかで気になった興味や疑問などからテーマを見つけ、取材して記事を書いています。
皆さんも、「物価高なのに白菜が安くなった」「こんな面白い人に会った」「これってどうなの?」など、日常のなかで誰かに話したくなる出来事や気づきってありますよね。そんな「人に話したくなること」は、すべて記事になると思っています。
――「人に話したくなることをすべて」ですか! ジャンルが多岐にわたって大変そうですね。
そうかもしれませんね。でも、同じテーマを掘り下げるより、その時々で興味を持った記事を書くことが好きなんです。新聞記者になったのも、毎日違うことができそうだったからで(笑)。
大学時代の米国留学で、文化も習慣も違う多くの人に話を聞くことの面白さを知った経験も志望動機になりましたが、そもそも、子どもの頃から飽きっぽくて一つのことに集中するのが苦手だったんですよ。だから今、社会部の遊軍として日々違うことを取材できるのは、願ってもない環境ですね。
「あなただけではなく、私も話す」の姿勢
――いろいろな取材現場を経験されてきたと思います。失敗談などありますか?
取材に行ったものの、もくろみが外れた、ということはよくありますよ。たとえば、新知事のことをよく知っている人物と思い込んで、元知事に取材を申し込んだ。ところが、実際お会いしたら、「あんまり知らないんだけどね」と(笑)。
往復4時間かけて取材に来たし、原稿の締め切りもあるし、手ぶらでは帰れないと思って「知事の心得」を聞いたら、これがめちゃくちゃ面白かったんです。そこで、「新知事に贈る知事の心得」として1本の記事にまとめました(笑)。
――取材では、どのようなことを心がけているのでしょうか?
一般の方への取材では、緊張される方も珍しくありません。なるべくリラックスしてもらえるよう、基本的にレコーダーは使わないようにしています。これは新人の時から変わりませんね。
一方で、キャリアを重ねるなかで変化してきたこともあります。記事は客観的でなければならないと教わってきたので、取材の際もなるべく「私」を出さないようにしてきましたが、今は、時には「私」を出してもいいと思うようになりました。
例えば、病気のことを伺っている時に、「実は私の親も…‥」と自分や身近な人の話をしたり、「私はこう思うんですけど、どう思いますか?」という聞き方をしたり。
「私がこの取材に来たのは、私のこんな経験や思いがあるからなんです」という取材意図を伝えたことで、本音を話していただけることがあります。実際、私自身、相手の気持ちがわからないと話しにくい。だから、「あなただけではなく、私も話します」って感じでしょうか。「本当は話したかった」と思っていることを聞き出せるのなら、「私」を出すことも悪くないと思っています。
――フランクでとても話しやすい印象の江戸川記者ですが、ここに至るまでにも変化があったのですね。
そうですね、ここ数年でも記事に向かう姿勢が少し変わったように思います。
――どのように変わったのでしょう?
例えば、広島総局にいた頃、被爆者に取材をすることがありました。駆け出しの20代の記者が数時間かけて壮絶な体験談を聞くわけです。そうすると、その方々に成り代わって怒りや辛さを世の中に伝えたくなるし、読者にも共感してもらいたくなる。これは、福島総局で東日本大震災の取材をした時もそうでした。
もちろん、こうした記事が、ある程度共感を求めるものになるのは必然だと思います。ただ、今、新聞記事に必要なのは「共感」だけではないと考えるようになっています。
――考え方が変わったきっかけはあるのでしょうか?
デジタルの時代になって、自分が「こうである」と考えていたことに、実はいろいろな考えや見方があるなど、読者の反応が見えやすくなったことでしょうか。
私の記事に対する建設的な異論や、異なる角度からの意見に触れていくうちに、当たり前なのですが、記事だけが一つの見方ではないと改めて気付きました。別の意見でも構わない。ただ、「こういう意見や考え方も知ってほしい」と示すこと。それが私たちの役割の一つではないか、と考えるようになったんです。記事への向き合い方が「共感」から「共有」になったといえるかもしれません。
ヘルプマークについての記事は、まさにこの「共有」を形にしたものです。取材のきっかけは、女性アーティストがヘルプマークに似たグッズを販売したことでした。
31歳で余命宣告 「若いのに」優先席で怒鳴られた日々に起きた変化
グッズ販売は、女性アーティストが著名だったゆえに、大きく取り上げられた出来事でした。ただ、このマークが何を意味するのか、誰が使っているのかという本質的な議論があまりなく、本来のヘルプマークの意味が伝わっていないのではないかとモヤモヤしたものがあったんです。
実際にヘルプマークを使っている方に話を聞いて記事にしたところ、「ヘルプマークはこういう人が使っていたんだ」「ヘルプマークの人がいたら席を譲らないといけない理由がわかった」などたくさんの反響をいただきました。
たまたま目にした光景が記事になる
――江戸川記者が書かれた、コロナ禍での距離感を取り上げた記事が印象に残っています。時勢を踏まえた絶妙な視点で書かれた記事でしたね。
コロナ禍での電車内の出来事を取り上げたものですね。多くの反響をいただいた記事で、この記事を書いたのも、日々のなかでたたまたま目にした光景がきっかけでした。
「席ずれて」突然口火を切った女性と反論の一言 電車内に流れた空気
感染が拡大し、人との距離感が慎重になっていたこの時期、一人の女性が車内で隣に座った若い男性に声をかけました。席をずれて欲しかったとのことですが、一方の男性にも思うところはあったようです。
私はその女性が電車を降りた際に声をかけ、話を聞きました。ただ、コロナ禍での距離感は人それぞれだと認識していたので、一方の当事者にしか話を聞けない今回の出来事を記事にしていいものか迷いました。
――迷われたのはなぜですか?
意見が分かれるような問題は「両論併記」が新聞記事の原則と教わってきました。ただ、多様な見方を提示するためにも、どうしても世の中に出したいと考え、男性の行動の理由を心理学の研究者に推測してもらって、1本の記事にまとめました。
記事のネタは、こうして生活のなかで出会った一場面から拾うこともあるし、インターネットで見つけることもあります。居酒屋で知り合った人から得た情報がきっかけになったり、取材相手との雑談から広がったりと、本当にいろいろです。
動物の「あまのじゃく」についての記事は、科学者の会議にオンラインで参加して、「面白い!」と思い、研究者に取材をして書きました。
(キャンパス発)千葉大学大学院理学研究院・機能生態学研究室 あまのじゃくが社会変える?ハエで研究
「体験したこともないのに、なぜかわいそうと?」の言葉が胸に
――これまでの記者人生で、印象に残っている取材はありますか?
忘れられないのは、ダウン症のお子さんを持つお母さんに取材した時のことですね。取材の終わりに「かわいそうってよく言われるんですけど、なぜ体験したこともないのに、そう言えるのでしょうね」とおっしゃったんです。
取材中、私は「かわいそう」という言葉を使いませんでした。でも態度に出ていたのかもしれません。言われて初めて、私はなぜ勝手に「この人が辛いはずだ」と決めつけていたのだろうと、あらためて自分の言動を振り返りました。
――胸に刺さる言葉です。
はい。人の気持ちって「うれしい」とか「悲しい」とか、そんな簡単でストレートなものではないですよね。病気をした人も、その時は辛かったけれど、今振り返れば、一つの経験だったと前向きにとらえているかもしれません。強がりではなく本心で。
私は当時、そこまでの認識に至っていなかった。「これは悲しい」「これは楽しい」と決めつけ、結論ありきで話を聞き、そして書こうとしていたことに気づかされました。先入観はダメという記事を書くこともあったのに、自分がダメじゃんと。
――取材対象者の言葉で成長していくこともあるのですね。最後に、読者の皆さんに伝えたいことはありますか?
紙の新聞は、掲載場所や扱いの大小などによって、世間での注目度や重要性がわかりますし、自分の興味とは関係なく、さまざまな記事を網羅しやすいというメリットがあります。ただ、私たち記者の立場としては、紙幅に限りがあるため、せっかくいろいろな人に取材しても、その意見を凝縮しなくてはならず、悔しい気持ちになることもあります。
朝デジは、デジタルの利点として、紙より余裕を持って書くことができます。日々たくさんの「人に話したくなること」がある私にとっては、とてもありがたい媒体です(笑)。紙の記事はもちろん、朝デジにも目を通してもらえたらうれしいですね。
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