(社説)揺らぐ世界秩序と憲法 今こそ平和主義を礎に

社説

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 ロシアのウクライナ侵略が、第2次大戦後の世界秩序を揺るがすなか、施行から75年の節目となる憲法記念日を迎えた。

 国際社会の厳しい批判や経済制裁によっても、停戦はいまだ実現していない。一方、東アジアでは、北朝鮮が核・ミサイル開発を続け、中国は力による現状変更もいとわない。

 日本と世界の平和と安全を守るにはどうすべきか。これまで以上に多くの国民が、切実な思いを抱いているに違いない。単純な解は見つかるまい。だが、力で対抗するだけで実現できるものではない。日本国憲法が掲げる平和主義を礎にした、粘り強い努力を重ねたい。

 ■受け継がれた理想

 20世紀は、二つの世界大戦と平和を希求する努力の繰り返しだった。

 おびただしい戦死者を出し、銃後の国民をも巻き込む総力戦となった第1次大戦の後、史上初の国際平和機構として、国際連盟が創設された。その8年後には、国際紛争解決の手段としての戦争を否定するパリ不戦条約も結ばれた。

 しかし、第2次大戦の勃発を防げず、再び戦争の惨禍を経験すると、より強力な国際連合が結成された。日本国憲法が公布されたのは、その翌年である。平和主義を国民主権基本的人権の尊重と並ぶ3本柱と位置づけ、第9条で戦争放棄と戦力の不保持をうたった。戦争を否定し、平和を求める人類の理想を受け継いだものだ。

 軍国主義とアジアへの侵略、植民地支配に対する反省、唯一の戦争被爆国として核兵器は二度と使用されてはならないという強い思い……。日本自身の歴史の教訓も凝縮されている。

 それから70有余年。米ソ冷戦が終わり、グローバル化の進展で世界の相互依存は飛躍的に深まった。国際協調のための仕組みやルールの整備も進んだ。そんな21世紀の今日になって、私たちは再び、独立国が武力で侵され、市民に対する残虐行為が行われるという悲劇を目の当たりにしている。

 日本の平和主義の真価が問われる局面だ。

 ■「専守防衛」堅持を

 憲法に基づく日本の防衛の基本方針は「専守防衛」である。自衛のための「必要最小限度」の防衛力を整え、武力攻撃を受けた時に初めて行使する。その際、自衛隊は「盾」に徹し、強力な打撃力を持つ米軍が「矛」となる。日米安保条約による役割分担とセットである。

 第2次安倍政権が憲法解釈を強引に変更し、集団的自衛権の一部行使に道を開いた際も、政府は専守防衛に変わりはないとした。しかし、護衛艦の空母化や長距離巡航ミサイルの導入など、その枠を超える動きは続き、今や「反撃能力」の名の下に敵基地攻撃能力の保有に突き進もうとしている。

 厳しい安保環境を踏まえた、防衛力の着実な整備が必要だとしても、平和国家としての戦後日本の歩みの土台となった専守防衛を空洞化させるような施策が、本当に安全につながるのか疑問だ。際限のない軍拡競争を招き、かえって地域を不安定化させることにならないか。

 自民党は5年で対GDP(国内総生産)比倍増も視野に、防衛費の大幅増を岸田首相に提言した。武器輸出を拡大するための防衛装備移転三原則の見直しも求めた。危機に乗じて、これまでの日本の抑制的な安保政策を一気に転換しようとする試みは容認できない。

 ■努力を続ける使命

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」

 憲法の前文の一節だ。日本一国の安全にとどまらず、国際平和の実現をめざすのが憲法の根本的な精神である。

 ロシアの侵略を一刻も早く終わらせ、市民の犠牲はこれ以上出させない。そのうえで、このような事態が繰り返されることのないよう、ロシアを含めた国際秩序の再建に取り組む。国連の改革も必要だ。

 この困難な国際社会の取り組みに、日本は主体的に参加しなければならない。

 憲法に至る平和主義の淵源(えんげん)のひとつともいえる著作がある。ドイツの哲学者カントが18世紀末に著した「永遠平和のために」だ。その条件としてまず、常備軍の廃止や戦時国債の禁止など六つをあげている。

 カントは人間の「善」に立脚していたわけではない。逆に人間は邪悪な存在であるとの認識から、「永遠平和は自然状態ではない。自然状態とはむしろ戦争状態なのである」と記した。永遠平和は人間がつくりださなければならない。それは「単なる空虚な理念でなく、実現すべき課題である」と説いた。

 繰り返される戦争の惨事から立ち上がり、平和を求めてやまなかった先人たちの営みの上に今がある。強い意志をもって、その歩みを前に進める歴史的使命を果たさねばならない。

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