(社説)日米開戦80年 サダコの鶴が架ける橋

社説

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 80年前のきょう、日本は米英両国に宣戦を布告した。

 中国大陸での戦闘が泥沼化するなか、なぜ新たな無謀な戦争に突き進んだのか。政府が情報を隠し、自由を縛り、市民から主体的に判断する力を奪ったとき、国はいかに道を誤るか。

 当時を知る人が少なくなったいまこそ、歴史を検証し、教訓を引き出す営みは、いっそう重要になっている。

 あわせて、国を超えて平和の尊さを次代に語り継ぎ、友好を確かなものにすることも、現代を生きる者の大切な務めだ。

 戦争の悲惨さを象徴するふたつの場所――日本軍の奇襲を受けて兵士や住民ら2400人以上が命を落としたハワイ・真珠湾と、史上初めて原爆が落とされた広島とを結んで、手を携える日米の市民がいる。

 佐々木雅弘さん(80)、祐滋(ゆうじ)さん(51)親子は8年前、真珠湾攻撃で沈んだ米戦艦の乗組員らを追悼する国立施設に1羽の折り鶴を贈り、展示された。

 雅弘さんの妹禎子(さだこ)さんは広島で被爆。10年後、白血病を発症して12歳の若さで亡くなった。回復を祈り、薬の包み紙などで千羽鶴を折り続けた話は、広く世界で知られる。寄贈されたのはその1羽だった。

 橋渡しをしたのは元米紙記者のクリフトン・トルーマン・ダニエルさん(64)。日本への原爆の投下を承認したトルーマン大統領の孫である。

 戦争の終結を早め、多くの米兵の命を救ったという原爆観を、ダニエルさんは長く疑わなかった。しかし、息子の教科書で禎子さんの物語にふれ、考えが変わり始めた。佐々木さん親子に会い、広島・長崎で被爆者から話を聞いて、原爆の悲劇を米国で伝えることが、自らの責務だと思うようになった。

 寄贈について、被爆地では外交問題になりかねないと懸念する声もあった。それでも佐々木さん親子は「鶴が被爆の実相を知ってもらうきっかけになれば」と考え、米施設側も思いを共有してくれたという。

 話はこれだけで終わらない。

 ダニエルさんと佐々木さんらは今年初め、NPO「オリヅル基金」を米国に設立した。両国の教育者や子どもたちが真珠湾と被爆地を訪れ、双方の歴史に触れる活動の資金づくりにと、寄付を呼びかける予定だ。やがては交流の輪を中国や韓国にも広げる夢をもつ。

 戦意を高揚させるための標語「リメンバー・パールハーバー」は、多くの悲しみ、苦しみを経て、核の廃絶と平和を希求する「ノーモア・ヒロシマ」の訴えに至った。12月8日を、その道のりを振り返り、今後に思いを致す日としたい。

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