(語る 人生の贈りもの)片岡義男:7 言葉の狭さに苦しみ、会社辞めた

 ■作家・片岡義男

 《学生時代にライターを始めたのに一度就職されたそうですね》

 商社に入ったのですが、3カ月で辞めました。会社員は使う言葉が限られているんです。仕事に必要とされる狭い範囲のなかの、わずかな言葉だけで生きていける。そのことに気付いたとき、自分の周りから壁が押し寄せてくるような感じがありました。ライターは書く原稿が毎日違うし、この言葉を使えば間に合うという枠がない。使う言葉はぼくの日本語だけども、他に制限はないわけです。

 《会社を辞めても、出版社が集まる東京・神保町に「出勤」されていたそうですね。喫茶店をはしごしながら原稿を書いていた》

 主な仕事が週刊誌でしたから、週3日くらい通って、あとは家で長い翻訳などに取り組んでいました。原稿用紙に書いた現物を手渡ししないといけない時代ですから、書いて出かけるか、出かけた先で書くか。出かける途中に、どう書こうかな、と考えることができるでしょう。あとは喫茶店に入って書けばいい。編集部に渡してしまえば無罪放免となります。毎日のように締めきりはあったけれど、同じ言葉を使わなくていいから気分は楽でしたね。

 《当時、「テディ片岡」という筆名で本も出されています》

 三一書房から1963年に出た『C調英語教室』ですね。英語の勉強の本です。いろいろな雑誌に、時には同じ号に二つの原稿を書いていた。そうすると一つの名前ではすまない。名前を考えるにあたって編集者と打ち合わせをした時、たまたま持っていたのがサリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』でした。最後の話が「テディ」なんです。ああ、これがいいや、と。

 そのとき一回きりのつもりだったのですが、60年代を通じて10年ほど使うことになりました。当時、作家の田中小実昌さんらがぼくを「テディ」と呼んで広めてくれたこともあって、今でも覚えている方がいらっしゃるようですね。(聞き手・野波健祐)

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