(社説)戦後76年の夏 問われ続ける主権者の覚悟

社説

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 国の内外の人々に大きな苦難をもたらした第2次大戦の終わりから、76年になる。

 戦後の日本が憲法を手にめざしたのは、国民が主権を行使し、個人が等しく尊重される社会の実現だった。だが不平等はさまざまな形で残り、新たな矛盾も生み出されている。

 昨年来のコロナ禍の下で迎えた8月15日。個人の幸せの実現のために国家があることを確認し、一人ひとりが自律的に社会に関わっていくことの大切さを改めて考える機会としたい。

 ■異論封じた果てに

 戦争の終わりは「はじまりの日」でもあった。

 大正期から婦人参政権運動を率いた市川房枝は、敗戦を告げる昭和天皇のラジオ放送を東京の知人宅で聞いた。くやし涙を流した後、「さて、私たちは何をすべきかを考えた」と自伝に記している。

 その覚悟は、直ちに焦土のまちを友人を訪ねて回り、10日後には女性政策を進言する団体を設立したところにうかがえる。

 この年12月、衆議院での女性の参政権を認める法改正があった。占領軍による民主化5大政策のひとつ「女性の解放」に沿うものだったが、市川らの運動がその土台を築いていたことを忘れるべきではない。

 「男女に等しく政治的な権利を」という今では当たり前の主張は、男尊女卑の家父長的家族制に基礎をおく戦前の体制と真っ向から対立するものだった。このため当時の運動は、男女平等の本質を説くより、「台所と政治をつなぐ」ことの利点を訴えるという、妥協的なものにならざるをえなかった。それでも壁は破れなかった。

 治安維持法制のもとで、体制に疑義を唱える者は弾圧・排除され、あるいは懐柔された。非戦主義者だった市川自身も、やがて時代に絡め取られていく。言論統制に携わる組織の理事を務めたとして、戦後、公職追放された。

 批判にさらされない権力が暴走した先に、敗戦があった。

 ■平等なしに平和なし

 復権後に参院議員をおよそ25年務めた市川が死去して、ちょうど40年。戦後の改革で法律や制度の民主化が図られたが、めざした社会の実現は遠い。

 女性の国会議員は全体の15%に満たない。家父長制は廃止されても、それに由来し、世界に類を見ない夫婦同姓を強制する法律は引き継がれたままだ。性別に基づく役割分業論も、ことあるごとに姿を現す。

 男女の問題に限らない。社会的な地位、障害の有無、性的指向、民族の違いなどによる不平等や格差が歴然とある。

 コロナ禍はその現実を浮き彫りにした。例えば、ひとり親をとりまく課題に向き合うNPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」の調査では、非正規労働者が調整弁に使われ、雇用や収入などで大きな不利益を受けている様子が見て取れる。ところが政治はそうした声をすくい上げる機能を欠き、十分な支援策を打ち出せていない。

 「こんなはずではなかった。それが76歳になろうとする私の思い」。そう語るのは、終戦の年に生まれ、ジェンダー研究から市川の歩みをたどった東洋英和女学院大学名誉教授の進藤久美子さんだ。集団の利益を重んじる政治文化が残り、異なる経験に基づく価値観が採り入れられてこなかったと感じている。

 平和なくして平等はなく、平等なくして平和はない――。市川は晩年、そう強調した。

 違いを認め合い、対等な立場で個人の尊厳が守られている国の間で戦争は起きないし、逆に戦争が起きれば平等も尊厳も、そして生存自体も脅かされる。

 「市川本人の戦争体験から出た言葉だが、後に世界に広がった『人間の安全保障』の考え方に通じる」と進藤さんは話す。

 ■コロナ禍が試すもの

 政治権力がしたこと、しなかったことの責任を、これまでの為政者だけに帰すわけにはいかない。そういう政治を選び、委ね、許してきたのは他ならぬ主権者だからだ。

 国民の命やくらしを守るという国の責務が、今ほど切実に問われているときはない。

 コロナ禍はまた、強い感染防止対策と個人がもつ自由・権利とを、どう調整するかという問題を突きつけた。権威主義的な体制のほうがこうした危機にはうまく対応できる、という言説すらある。

 公法学者から政治家に転じたブランケール仏教育相も7月に来日した際、その難しさを吐露した。大統領に強い権限がある国だが、人々が異論を挟めることに意味があると述べた。政府の決定が漫然と受け入れられることはないし、そうあるべきではないとの見方だ。

 社会にひそむ問題、とりわけ弱い立場に置かれている人たちが抱える苦しみを共有し、とられる政策を見定め、責任ある主権者として声を上げる。

 その積み重ねの先に、市川が「はじまりの日」に希求した平等があり、平和がある。

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