(社説)芸術と行政 自由の芽、力で摘むな

社説

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 文化・芸術の振興と普及のため、発表の機会を確保し、担い手を支え、育てる――。

 国や自治体に課せられた大切な使命だ。だが、その認識と覚悟をもっているのか、首をかしげたくなる出来事が相次ぐ。

 憲法が保障する表現の自由にも深くかかわる話だ。おろそかにせず、一つひとつの動きに目を凝らしたい。

 東京地裁で先月、注目すべき判決があった。文化庁が所管する日本芸術文化振興会が、内定していた映画への助成金1千万円を一転不交付としたのは違法だと述べ、理事長によるこの処分を取り消したのだ。

 振興会側は内定後に出演者の一人が薬物使用で有罪となっており、「助成は公益性の観点から適当ではない」と主張した。

 これに対し判決は、専門家が芸術的観点から複数段階の審査を経て交付を決めた経緯や、問題の俳優は主要な役どころではないこと、制作者側が被る不利益が大きいことなどを挙げ、理事長の決定は裁量権の逸脱・乱用に当たると結論づけた。

 理にかなった判断だ。

 判決は、「社会の無理解や政治的圧力によって自由な表現活動を妨げられることがあった」と芸術がたどってきた歴史を振り返り、だからこそ助成事業にあたっても専門家の評価を尊重することが求められると指摘した。「公益性は多義的な概念」とも言い、公益性を安易に持ち出して自由を妨げることのないようクギをさしている。

 多数派の価値観やものの見方を問い直すことから、新しい文化や芸術は生まれてきた。この本質をとらえ、権力による安易な介入を戒めたといえよう。

 萩生田光一文部科学相は、公的支出の当否を判断するガイドラインの策定を検討していると述べた。判決の趣旨を踏まえ、慎重に考える必要がある。

 判決からほどなく大阪では、19年のあいちトリエンナーレで展示が一時中止となった作品を集めた展覧会をめぐって、府の施設が会場の使用承認を取り消す事態が起きた。

 施設側は一般利用者らの安全が確保できないと説明するが、主催する側は納得せず、先月30日に裁判を起こした。

 同様の事例で最高裁は「危険が具体的に明らかに予測される場合に初めて、不許可にできる」と判断している。警察と協議するなど、開催に向けて施設側がどれだけ努力を重ねたのかが問われることになりそうだ。

 表現の自由は民主社会の成立に欠かせない。行政は時に防波堤となって、それに反する動きから表現者とその活動を守らねばならない。責務の重さをかみしめて事に臨んでもらいたい。

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