(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)ネット時代の報道倫理、確立急げ 山本龍彦

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 フェイスブックの創始者であるザッカーバーグは、娘にAugust(オーガスト)という名をつけるほど、ローマ帝国・初代皇帝アウグストゥスを敬愛しているという。彼が本当に「帝国」建設を目指しているかどうかはわからないが、世界中に約35億人もの利用者を抱えるフェイスブックが、国家と同じか、それ以上の力を持ち始めているということは確かだろう。

 米国の識者がフェイスブックやグーグルのようなプラットフォーム企業を「新たな統治者」と呼んだように、彼らが決める「ルール」次第で私たちの自由や民主主義が守られもすれば、侵害もされる。フェイスブックやツイッターによるトランプ前米大統領のアカウントの無期限停止は、彼の口を封じ、暴力の連鎖から民主主義を守ったといえるが、同時に、特定の見解を言論空間から締め出し、民主主義を否定する強大な力をプラットフォームがもつことを知らしめる出来事でもあった。

 総務省傘下の情報通信研究機構は昨年、SNSの情報から知能や精神状態を見抜く実験に成功したという。仮に同様の技術が使われれば、プラットフォームは、私たちの内心や感情を解析し、言動を操作する力をもつことにもなりうる。今やデータの保有量は、力の大きさと比例しうる。

 だとすれば、デジタル社会において報道機関は、国家権力に加え、プラットフォーム権力という「新たな統治者」への監視役でもあらねばならない。日本の主要プラットフォームである、無料通信アプリの「LINE」が、個人情報を中国の業務委託先がアクセスできる状況においていた問題を明らかにした朝日新聞の3月のスクープは、プラットフォーム権力への番犬という、この新たな役割を期待させるものとなった。

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 読者も、重要な行政サービスを担うまでになったLINEの情報管理体制が、国の安全保障を含め、私たちの公共生活全体に多大な影響を与えうることに気付いていたのだろう。この報道に対する反響は予想以上に大きかった。報道機関が、巨大IT企業の情報管理の実態や権力構造を明らかにすることは、私たちの「知る権利」にもかなうものだ。

 しかし、報道機関が真にこの機能を果たすには、課題も多い。

 例えば、LINE問題を担当した東京本社社会部の永田工デスクは、サイバーセキュリティーや経済安保など、プラットフォームが持つ多様な側面に対応できる常設の取材チームがないことを課題に挙げた。この取材には、経済部、国際報道部、社会部がともにあたったが、問題の広がりとともに部を超えた取材態勢の構築などで苦労もあったという。デジタルの専門知識を持った人材の育成・確保、問題の本質に迅速に切り込み、わかりやすく読者に伝える態勢の整備は急務だ。

 報道機関自身が、今やプラットフォームが設定する「土俵」の上で競争せざるを得なくなったことに由来する問題もある。この土俵では、供給される圧倒的な情報量に対して人々が払える関心が希少になるため、いかに人々の関心を奪うか、具体的には、どれだけコンテンツの閲覧数(ページビュー)を稼ぐかが重要な意味をもつ。そのため、情報の正確性や質を高めることではなく、利用者の感情を刺激して「クリック」させることに重点が置かれがちだ。SNSでフェイクニュースや、少数の極端な意見が拡散・増幅しやすいのは、「関心経済(アテンション・エコノミー)」と呼ばれる、この土俵の構造と無関係ではない。

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 本来、関心経済の行き過ぎを監視すべき報道機関が、その構造と一体化し、番犬としての牙を抜かれるのではないか。

 この懸念に対し、坂尻信義・東京本社編集局長は「多くの人に読んでいただきたいが、閲覧数に振り回されず、ジャーナリズムに徹してコンテンツの質で勝負していきたい」と答えた。正論だ。だが不安も残る。

 デジタル化を踏まえた創意工夫が必要なのは当然だ。しかし、そこには、何のための創意工夫かという具体的な目的設定と、高い倫理観が必要だろう。それらなしでは、「何を伝えるべきか」ではなく、「何がネットで受けるか」に重点が移り、ジャーナリズムがデジタル・マーケティングの論理にのみ込まれる。例えば、新聞社が購読者の個人情報を収集・解析し、一人一人の政治傾向や趣味嗜好(しこう)に合う情報のみを配信するようになれば、公共的なメディアとしての機能を失うことにもなる。そうなれば、それはきっと「新聞」ではなく、購読者にお好みの情報を配信するSNSと同じだ。

 常にネットと接続する時代。私たちは、自由に見えて、実はプラットフォームが設計する籠の中の鳥になりつつあるのかもしれない。籠の外から、鳥にそのカラクリを伝えること。報道機関がその役割を貫徹するための倫理と制度の確立が急がれる。

 ◆やまもと・たつひこ 慶応大教授。専門は憲法学、情報法学。現代のプライバシー権をめぐる問題に詳しい。1976年生まれ。

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