(大志 藤井聡太のいる時代)黎明編:9 消費時間3時間半VS.30分からの逆転劇

 もしも将来、藤井聡太二冠(18)の逆転勝ち対局集が編まれるなら、この対局も収録の候補に挙がりそうだ。七段だった2020年3月24日、第61期王位戦の挑戦者決定リーグでの稲葉陽(あきら)八段(32)戦。17年の第67回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは稲葉勝ち、19年の第12回朝日杯将棋オープン戦では藤井勝ち。3度目の対戦だった。

 稲葉は17年、第75期名人戦で挑戦者になった関西の実力者。両者得意の角換(かくが)わり腰掛(こしか)け銀(ぎん)という戦型になり、実は、稲葉が事前に将棋ソフトも活用して入念に調べ上げた変化に突入した。「稲葉さんの研究の深さを感じました」と後日に藤井。藤井は長考を余儀なくされ、持ち時間各4時間のうち、消費時間が藤井約3時間半に対し稲葉は約30分という場面も生じた。

 稲葉は後日、「藤井さんが長考してソフトと同じ手を選ぶので(皮肉にも)残り時間の差がつきつつ、こちらの想定内(の変化)に進むことになった」と明かした。「他の棋士(が相手)だとほぼ経験が無い」ことだ、とも。自分の頭で考え、好手を選び出す藤井のすごさが分かる、生々しい証言だ。

 だが、その後、残り時間が切迫し、「藤井さんにミスが出て、優勢に導けた」と稲葉。検討陣も「稲葉勝勢」と口をそろえたが、最終盤で藤井の勝負手に稲葉が対応を誤り、稲葉の逆転負け。「この持ち時間差と形勢で負けるのは情けないと思いました」と後日に稲葉。逆転勝ちした藤井は王位挑戦に向けて一歩前進し、3期連続での年度勝率8割以上も確定させた。

 あれから約1年。本局を藤井は「ずいぶん昔のことですよね」と振り返った。この間、藤井が濃密な時間を過ごしたからこその言葉と記者は感じた。=敬称略(佐藤圭司)

 ◆次週は「名人戦ニュース」です。次回の「大志」は4月4日に掲載します。