(社説)五輪の混迷 大会の理念思い起こせ

社説

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 いかなる差別も許さず、相互に理解し合い、スポーツを通じて青少年を教育する――。そううたう五輪精神に程遠い姿を、またも見せつけられた。

 東京五輪パラリンピックの開閉会式の演出を統括する佐々木宏氏が辞任した。出演予定だったタレントの渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなプランをチームに示し、撤回に追いこまれていたことが明らかになり、その責任をとった。

 女性蔑視発言で森喜朗氏が組織委員会会長を辞して1カ月。理念を忘れ、社会常識を著しく欠く人たちが運営の中心にいるのを目の当たりにして、五輪に向けられる世の中の視線は冷ややかさを増すばかりだ。

 開閉会式は、その国の歴史や文化、発信したいメッセージを織り込む演出が、近年関心を集めてきた。橋本聖子会長は佐々木氏の言動を「あってはならない」と批判・謝罪しつつ、開幕が迫っていることを理由に、これまで固めてきたものを大筋で引き継ぐ考えを示した。

 しかしいくら表面を取り繕ったところで、舞台裏を知ってしまった人が、それを見て素直に感動したり楽しんだりできるだろうか。開催延期に伴い、組織委も開会式の簡素化を模索していたはずだ。この際、大胆な見直しに踏み切ってはどうか。

 混乱はこれにとどまらない。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は今月、東京五輪向けに中国が新型コロナワクチン提供を申し出ていると突然発表。積極的な活用を唱え、日本政府や組織委、医療関係者らを当惑させた。

 「五輪のため」といえば何でもまかり通るといわんばかりの唯我独尊ぶり、そして相も変わらぬ関係者間の連携の悪さに、うんざりし、あきれた国民も少なくないだろう。

 そのIOCと組織委、政府、東京都などはきょう会議を開いて、海外からの観客受け入れ断念を正式に決める。平和の祭典としての意義は薄まるが、国内外の厳しい感染状況をみれば当然の判断といえよう。

 この先も、25日に福島県から始まる聖火リレーをいかに安全に執り行うか、国内の観客の扱いをいつまでに、どう決めるかなどの課題が待ち受ける。

 求められるのは、この状況下にあってもなぜ五輪を開かねばならないのか、その先にどんな未来や可能性があるのかを、五輪に関わるリーダーたちが、誠実にわかりやすく発信し、人びとの胸に届けることだ。

 渦巻く不信の中で果たすのは容易ではない。しかしその努力をしなければ、たとえ開催にこぎ着けたとしても、空疎な巨大イベントに終わりかねない。

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