(声)被爆した母、青空に何を思った

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 無職 徳島陽子(神奈川県 68)

 「こよなく晴れた青空を悲しと思うせつなさよ」(作詞・サトウハチロー)という歌詞で始まる「長崎の鐘」が母は大好きだった。1945年8月9日原爆投下の時、この歌詞のような青空の下、教員の母は長崎・西坂国民学校にいた。疎開する児童の学籍簿を運動場奥の防空壕(ごう)に納…

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