「論語と算盤」未来へのヒント 朝日教育会議

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 ■二松学舎大×朝日新聞

 新1万円札の肖像に採用され、2021年のNHK大河ドラマの主人公にもなって注目を集める実業家、渋沢栄一。かつて渋沢が舎長を務めていた二松学舎大学が、朝日新聞社と「朝日教育会議2020」を共催し、渋沢の著書「論語と算盤(そろばん)」を題材に議論した。

 【東京都千代田区の二松学舎大学九段キャンパス中洲記念講堂で昨年12月12日に開催。インターネットでライブ動画配信された】

 ■基調講演 渋沢の教え、道徳と経済の両立 渋沢史料館館長・井上潤さん

 渋沢栄一は1840年、武蔵国血洗島(ちあらいじま)村(現在の埼玉県深谷市)の富農の家に生まれました。藍玉の製造販売などを営む父親の横で実践的に経営を学ぶとともに、いとこで学者の尾高惇忠(じゅんちゅう)から学び、幅広い知識を身につけていきました。

 やがて、官尊民卑の打破とともに、尊皇攘夷(じょうい)に傾倒し、高崎城乗っ取りなどを計画するものの断念します。京都に移り、後に徳川幕府15代将軍となる一橋慶喜に仕えるようになった渋沢は、功績が認められ、67年にはパリ万博使節団の一員として渡欧。スエズ運河の大工事を民間企業が担っている様子などに衝撃を受け、「国力を増すには政治力や軍事力ではなく、経済力だ」との思いに至ります。

 帰国後は政府の役人を経て、民間の立場で近代経済社会の基盤づくりに奔走します。73年に日本初の近代的な銀行「第一国立銀行」を設立したほか、鉄道や紡績、製紙、汽船など、生涯で約500もの企業を手がけたとされます。

 渋沢がめざしたのは、産業を振興することで、人々が豊かな暮らしを送れる社会です。しかし、その過程で貧富の差が目立つようになってしまいます。そこで、困窮者や病人、障害者たちの収容施設「東京養育院」の院長を長きにわたり務めました。

 教育にも力を注ぎ、実業教育や女子教育など、政府からの支援が行き届かなかった分野に、民間の立場で貢献していきます。また、自身の経験から漢学教育の重要性を実感していた渋沢は1919年、三島中洲(ちゅうしゅう)が創立した漢学塾「二松学舎」の第3代舎長に就任し、その発展に尽力しました。

 このように大きな功績を残し、31年に91歳で亡くなりました。渋沢が手がけてきた企業や社会事業活動の根底には、自身の著書のタイトルでもある「論語と算盤」の考えがあります。論語は道徳、算盤は経済活動。これらを両立させることで社会が繁栄し、事業が持続するという考えです。個人や目先の利益を優先しがちな資本主義社会において、この教えは精神的制御装置となりました。

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 いのうえ・じゅん 1959年生まれ、大阪府出身。84年、明治大学文学部史学地理学日本史学専攻卒業。同年、渋沢史料館学芸員に。2004年から現職。著書に「渋沢栄一伝 道理に欠けず、正義に外れず」ほか多数。

 ■講演 精神の根底に東アジア文化 二松学舎大学文学部中国文学科教授・町泉寿郎さん

 二松学舎は1877年、漢学塾として三島中洲が設立しました。1928年に二松学舎専門学校、49年には二松学舎大学へと移行し、現在に至るまで日本漢学の教育や研究を続けています。

 三島は現在の岡山県倉敷市に生まれ、備中松山藩の儒者として仕えていました。廃藩置県後は明治政府に出仕し、裁判官の職を歴任した後、二松学舎を設立します。渋沢栄一と同じく地方の豪農層出身で、自ら学び、実力によって地位を築いた人物です。

 渋沢と三島は晩年、交流を深めていきました。こんなエピソードが渋沢の著書に記されています。渋沢の誕生日を記念して友人の画家から贈られた一枚の絵に、論語と算盤が描かれていました。それを見た三島は面白がり、「共に論語と算盤をなるべく密着するように努めよう」と語りかけたそうです。

 「論語」の中で、義と利、つまり道理と利益については度々述べられるところですが、1886年に行った講演の中で、三島は「義利合一論」を唱えています。利益を求めるのは人間の根源的な思考であり、否定すべきではない。しかし、私欲ではなく、公益を考えることが重要で、公益を追求することによって道理が生じるのだという考えです。これは渋沢が生涯をかけて取り組んだ官尊民卑の打破、商工業者の地位向上といった理想にも合致し、互いに共鳴するものがあったと思われます。三島の没後、後を託された渋沢は二松学舎の第3代舎長に就任します。

 近年、渋沢の「論語と算盤」や三島の「義利合一論」の精神が見直されています。その根底に、漢学という日本に根付いた東アジア文化があることは、注目すべき点だと考えます。

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 まち・せんじゅろう 1969年生まれ、石川県出身。99年、二松学舎大学文学研究科博士後期課程修了。北里研究所研究員を経て、2003年から二松学舎大学で教える。著書に「渋沢栄一は漢学とどう関わったか」ほか多数。

 ■パネルディスカッション

 石黒浩さん 大阪大学大学院基礎工学研究科教授

 大森美香さん 脚本家・演出家

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 パネルディスカッションには、脚本家の大森美香さんがオンラインで加わり、4人で議論を深めた。(進行は吉村千彰・朝日新聞大阪本社生活文化部長)

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 ――なぜ今、渋沢栄一に注目が集まっているのでしょうか。

 町 少し前までは、渋沢の言葉を古くさいと感じる人もいたでしょう。しかし、今は企業倫理持続可能な発展について、真剣に考えなくてはならない時代です。だからこそ、渋沢の言葉や考えが見直されているのだと思います。

 井上 バブル経済期やリーマン・ショックの時など、これまでも渋沢が注目される時期はありました。渋沢の言葉や考えから、生きる上でのヒントをもらいたいと考えるのかもしれません。

 石黒 社会が豊かになり、自分のことだけでなく、広く世の中のことを考える人が増えてきました。個人的な利益と公益の間で揺れ動く現代人にとって、渋沢の生き方から学ぶものは多いと考えます。

 ――大森さんは、渋沢を主人公にした2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」で脚本を手がけます。

 大森 これまでの大河ドラマの主人公と少し異なるのが、渋沢は自分1人ではなく、周りの人と一緒に成果を上げてきた人物です。そして、様々な立場を経験してきた渋沢だからこそ、農民、政府、民間、海外と、いろんな視点で幕末を描くことが出来ると考えています。

 ――渋沢アンドロイドの制作にあたって、意識したことはありますか。

 石黒 親しみやすくするためには、もっと個人的な特徴を再現すれば良かったのかもしれません。しかし、私は偉人のアンドロイドは、動く銅像だと考えます。だから、社会的に共有されている、偉人の良い側面を再現すべきなのです。また、偉人のアンドロイドをきっかけに、アンドロイド自体がもっと社会に受け入れられていくことを期待します。

 ――「論語と算盤」にも記されている渋沢の理念は、現代にも通じる所が多いのでは。

 町 利を追い求めることを否定しない点に共感します。そして、利を求める時には必ず隣に義を置き、世の中のことを考えなくてはなりません。実業家であった渋沢が1万円札の肖像に選ばれたのは、こうした考え方、そして社会貢献活動も含めた功績が評価されたからだと考えます。

 井上 渋沢は常に生活者の目線で語り、動くことで、周りからの信頼を得てきました。しかし、時には障壁にぶつかることもあります。そんな時には、あらゆる情報をかき集め、自分の中で再構築し、判断材料にしていました。

 石黒 今の若い人たちを見ていると、「もっと知りたい」とか「世の中を変えたい」という欲がなくなっている気がします。反対に、渋沢は果てしない欲を持っていた。しかし、それは単なる私欲ではなく、社会を良くしていきたいという欲です。なかなか出来ることではないけど、見習うべき姿勢だと感じました。

 大森 欲は悪いものではなく、前に進むための原動力です。渋沢は91歳で亡くなる直前まで欲を持ち続け、生涯青春を送った人。その生き方を今の人たちにも伝えていきたいと思います。

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 いしぐろ・ひろし 1963年生まれ、滋賀県出身。大阪大学大学院基礎工学研究科教授(栄誉教授)、ATR石黒浩特別研究所客員所長。知能ロボットの研究開発を通じ、ロボット社会の実現をめざす。

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 おおもり・みか 1972年生まれ、福岡県出身。「不機嫌なジーン」で向田邦子賞、NHK連続テレビ小説「あさが来た」で橋田賞を受賞した。渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」(2021年2月放送開始)で脚本を担当する。(写真はパネルディスカッションでのオンライン画面から転載)

 ■「変わらぬ原理だ」 渋沢×漱石アンドロイド対談

 渋沢栄一の出身地である埼玉県深谷市が制作した渋沢アンドロイドと、二松学舎大学が制作した明治の文豪・夏目漱石のアンドロイドが登場し、「論語と算盤」について語り合う講座が開かれた。

 漱石アンドロイドは「渋沢先生は『道徳なき商業における拝金主義』を憂えていた。お金を所有している人は、相当の道義心を持って使わなくてはならない」と発言。渋沢アンドロイドが「道徳と経済は両立して進むもの。いつまでも変わらない原理だ」と話した。

 続いて、両アンドロイドの技術監修をした大阪大学大学院基礎工学研究科の石黒浩教授が登壇。「一般的なロボットは道具として人間を支援しているが、偉人のアンドロイドは尊い存在として、人々を導くような指針になれる」と説明した。

 ■持続可能な発展に応用を 会議を終えて

 「論語と算盤」という言葉に、渋沢栄一の理念が凝縮される。言い換えると「義と利」「道理と損得」「道徳と金もうけ」。両極を矛盾無く追求し続けた生き方は、これからの持続可能な経済発展に大きなヒントになるのではないか。

 実業家としての成功を支えたものは何か。パネルディスカッションのなかでは「欲」というキーワードが浮上した。欲といっても私利私欲とは無関係。近代化を進める国を豊かにして、貧困をなくし、教育を行き渡らせ、社会に貢献したいという果てしなく大きな欲だ。若い時は無謀な面もあったが、情報収集能力を駆使して、先々を見通した判断をしていく。多くの仲間がいて、敵対する人の話にも耳を傾けた。度量の大きさも成功を後押しした。

 人を幸せにするという経済の基本と渋沢の理念を、コロナ後とさらに未来に向けて応用できないか。人も利益もおろそかにせず大きな「欲」を持つ。渋沢について語りあうことで、そんな野望の種をお裾分けしてもらった気分になった。(吉村千彰)

 <二松学舎大学>

 1877年、漢学者・三島中洲が東京・九段に漢学塾「二松学舎」を創立。1919年、渋沢栄一が第3代舎長に就任し、その発展に尽力する。文学部(国文学科、中国文学科、都市文化デザイン学科)と国際政治経済学部(国際政治経済学科、国際経営学科)を持つ。

 ■朝日教育会議2020

 10の大学と朝日新聞社が協力し、様々な社会的課題について考える連続フォーラムです。「教育の力で未来を切りひらく」をテーマに、来場者や読者と課題を共有し、解決策を模索します。これまでに開催したフォーラムの情報や、内容をまとめた記事については、特設サイト(https://aef.asahi.com/2020/別ウインドウで開きます)をご覧ください。すべてのフォーラムで、インターネットによるライブ動画配信を行います。

 共催大学は次の通りです。共立女子大学、成蹊大学拓殖大学、千葉工業大学、東海大学、東京理科大学、二松学舎大学、法政大学立正大学早稲田大学(50音順)

 ※本紙面は、ライブ動画配信をもとに再構成しました。

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