(多事奏論)危機と新聞 報道の使命、放棄はもう許されない 駒野剛
1936(昭和11)年2月26日。東京朝日新聞の夕刊発行はなかった。翌日、朝刊の社告で「不慮の事件のため工場の一部に支障を生じ已(や)むなく休刊いたしました」と釈明するが、事件が何か分からない。
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だが社告右上に大見出しが躍っている。「昨早暁一部青年将校等 各所に重臣を襲撃 内府、首相、教育総監は…
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