(月夜の森の梟:28)雪が降ると思い出す記憶は 小池真理子

月夜の森の梟

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 遥(はる)か遠い日の記憶である。まだ妹が生まれる前のことで、私は四つか五つ。両親と三人、東京郊外の社宅で暮らしていた。

 当時は都内でも毎冬、よく雪が降った。その日も、午後から本降りとなり、暗くなって父が帰宅するころには十センチを超える積雪になった。

ここから続き

 小さな駅から、大人の足で十数分。駅前の商店街を抜けたとたん、いちめんの麦畑が拡(ひろ)がって、視界を遮るものがほとんどなくなるようなところだった。

 バスは通っておらず、昔のことだから駅待ちのタクシーもない。駅を降りたら歩くしかなく、しんしんと雪の降りやまない晩、いつもよりも帰りの遅い父を案じたのか、母は夕食の支度もそっちのけで、そわそわと窓から外を眺めていた。

 やがて帰宅した父は、玄関先でコートや頭に降り積もった雪を払いながら、「まいったよ」と言った。呼吸がひどく乱れていた。「雪女を見てしまった。あそこの……で。いちもくさんに逃げてきた」

 あそこの、の次の言葉は私には聞き取れなかった。母が息をのむ気配があった。両親は明らかに、私に悟られぬよう気遣いながら怯(おび)えていた。

 あれは何だったのか。青白い雪に被(おお)われた、人けのない夜の麦畑の中の「あそこ」というのはどこだったのか。万事において非科学的なことを小馬鹿にしていた父が、いちもくさんに逃げてきたという。父はそれほど恐ろしいものを見たのか。

 訊(たず)ねてみたいことは山ほどあったはずなのに、どういうわけか、長じてからは忘れてしまった。それが今頃になって、甦(よみがえ)ってくる。降りしきる雪の中で父が見たという雪女のイメージが、ここ数日、私を刺激してやまない。

 今暮らしている土地は寒冷地で、降雪量は少ないが、積もった雪は凍りつく。月明かりを受ければきらきらと輝いて、氷のかけらのように見えてくる。

 雪は音を吸収する。積雪のあった日は、いちだんと静寂が深まる。あたりには、甘い薄荷水のような香りが漂う。雪のにおいである。……そうしたことを私は、この土地に暮らして初めて知った。

 雪かきは夫の役割だった。家庭用の小型除雪機を用意し、雪が積もった日の朝は、夫が元気よく家の前の道を除雪した。積雪量が少ない時は私も参加し、雪かき用のスコップで雪をかいた。

 昨年の冬、恐ろしいスピードで衰弱が始まった夫の代わりに、雪かきは私の役割になった。

 ある晩、いたたまれなくなって雪かきを口実に外に出た。スコップを手にふと我に返ると、雪の中にゆらゆらと佇(たたず)んだまま、嗚咽(おえつ)を続ける自分がいた。あふれる涙が氷点下の冷たい風に吹かれていった。

 あの時の私は、間違いなく雪女だった。

 (作家)

 ◇昨年はたくさんのお手紙、ありがとうございました。質問の多かった小池さんの新作は、書き下ろし長編小説が4月に刊行予定です。

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 月夜の森の梟(ふくろう)

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