(社説)コロナと死別 悲嘆にどう寄り添うか

社説

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 新型コロナの感染に歯止めがかからず、国内の死者は3千人を超えて増え続けている。

 このウイルスは、通常の見舞いはもちろん、愛する人の最期に立ち会い、静かにみとることすら困難にする。春に志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなったとき、遺族が語ったその切なさは、社会に大きな衝撃をもって受け止められた。

 治療に最善を尽くすことに加え、患者の尊厳を守り、家族の気持ちに寄り添うことが、医療現場の大きな課題のひとつになった。ガラス越しの対面やインターホン、スマホを使っての会話などの工夫がされるようになり、救われる思いをした人も少なくなかっただろう。

 そうした経験を踏まえ、厚生労働省は今月初め、コロナ対応に関する医療機関向けの手引きを改めた。患者の臨終にあたっては「適切に感染対策を行いながら、病室で別れの時間を設けることもできる」とした。

 負担をさらに増すことになるが、患者と遺族が最後のひとときをもてるよう、医療関係者には格別の配慮を望みたい。そのためにも逼迫(ひっぱく)している人の手当てが欠かせない。政府・自治体は医師や看護師の団体などと連携し、「適切な感染対策」の検討・共有と人材の確保に一段と力を入れてほしい。

 葬送の場面でも遺族はつらい思いをする。納体袋に密閉された遺体を思い出深い自宅に連れ帰ることはかなわず、火葬場へ直行する。濃厚接触者とされると一定期間隔離されるため、遺骨を拾うこともできない。葬儀を執り行う際も、ゆかりのある人に参列の案内を出していいものかどうかで悩む。

 弔いは気持ちに区切りをつけて、次への一歩を踏み出す営みだ。その機会を満足にもてない苦悩は察するにあまりある。

 そんな人々に心を寄せ、立ち直りを支える「グリーフケア」の取り組みに目を向けたい。阪神・淡路大震災のころから広く知られるようになった。

 専門家たちが心配するのは「悲嘆反応の複雑化」だ。突然の死は「あいまいな喪失」となり、十分に看病できなかった悔いや無念が遺族にのしかかる。いまは平静に見えても、時間をおいて苦痛が強く現れるのではないかという懸念である。

 周囲にできるのは、静かに様子を見守り、遺族が話を聞いて欲しいという気持ちになれば、じっくり耳を傾けることだ。理解してくれる人がそばにいると思えるだけで、心の重荷はいくらか軽くなる。近くに感染者への差別や偏見を口にする人がいれば、その間違いを丁寧に指摘することも、遺族たちを慰め、支える一助になるだろう。

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