(日曜に想う)首相の招き断った、漱石の心中は 編集委員・曽我豪

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 明治40(1907)年だから日露戦争終結の翌々年である。時の西園寺公望首相は文人を招き「雨声会(うせいかい)」を催した。

 西園寺明治維新後に渡仏してソルボンヌ大学で日本人初の学士となり、政界に入る前には東洋自由新聞の社長も務めた。自由主義の気風漂う「文人宰相」ならではの招宴ではあったろう。

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