(富永京子のモジモジ系時評)自分の言葉で綴る喜び

[PR]

 こうして新聞で言葉を綴(つづ)るのが好きだが、実は少し後ろめたい。自分の中で、研究者は論文を書くものだ、という前提がかなり強くあるためだ。もちろん、だからといってエッセーや小説を書いてはいけないわけでもない。それなのに、なぜ論文以外の言葉を綴ることに対して、後ろめたさややましさを感じるのだろう、と…

この記事は有料記事です。残り1094文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

連載富永京子のモジモジ系時評

この連載の一覧を見る