(社説)延期五輪の姿 具体案を示して議論を

社説

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 新型コロナ禍によって延期された東京五輪の開会式まで300日を切った。それでもなお、本当に開催できるのか、どんな大会になるのか、具体的な姿はなかなか見えない。

 国際オリンピック委員会(IOC)や日本の組織委員会の幹部、そして菅首相らから聞こえてくるのは、もっぱら意欲や希望を語る言葉ばかりだ。これでは選手や五輪を待つ人の不安、不信はぬぐえない。

 選手や関係者の入国手続きなど、各論を詰める作業はむろん必要だ。だがその前提である開催自体の可否を、誰が、何を基準に、いつごろまでに決めるのか。大枠を示すべき時期ではないか。感染症の専門家と連携を密にし、被害を広げる恐れが高いと判断したら、引き返す道を示しておくことも必要だ。

 一向に収束の気配を見せない世界の感染状況やワクチン開発の進み具合を踏まえると、延期を決めた際に安倍前首相が表明した「完全な形での開催」は困難とみるのが自然だろう。

 ではどんな「形」があり得るのか。無観客とすることをはじめとして想定されるケースを示し、それぞれの長短を、感染の抑止、競技大会としての質の維持、運営の収支など、様々な観点から分析・説明する必要がある。検討過程の透明化は、選手はもちろん、大きな財政負担を強いられる都民や国民に対する主催者側の当然の務めだ。

 人々が集い、自由に交流することが容易ではない状況下でも開く五輪の意義をどう発信するか。勝敗やメダルの多寡ばかりが注目され、原点が脇に追いやられている五輪のあり方を考え直す機会にもなるだろう。

 組織委はおととい、経費削減に関するIOCとの調整を経て聖火リレーの日程を公表した。ほぼ従来の計画のままで、あわせて検討された開閉会式の簡素化も実現しなかった。放映権料を支払う米テレビ局との契約やその意向が壁になって、IOC側が反対したという。

 今回合意できたのは、IOC関係者への過度な接遇の見直しなど、かねて疑問のあった事項が中心で、削れる額は数百億円にとどまる見通しだ。1兆3500億円の経費に加え数千億円ともされる延期に伴う追加費用を考えれば、納得感は乏しい。

 五輪の将来を考えるとき、社説でも繰り返し指摘してきたように、大会のスリム化を図るとともに、テレビの放映権料やスポンサー収入に依存する、いびつな財政構造にメスを入れることが欠かせない。

 進んでも退いても大きな負担やリスクを迫られる東京五輪を教訓に、関係者はこうした課題に正面から取り組むべきだ。

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