8月1日付の朝日新聞週末版beの記事「みちのものがたり」に掲載された長崎市松山町の被爆直前の復元地図が目にとまった。松山町に近い山里町(当時)の父の生家で一家9人全員が原爆で死亡したからだ。

 原爆が炸裂(さくれつ)した時、亡き父は25歳。生後すぐに母が亡くなり、父親が再婚したため養子に出て、当時…

この記事は有料記事です。残り375文字
ベーシックコース会員は会員記事が月50本まで読めます
続きを読む
現在までの記事閲覧数はお客様サポートで確認できます
この記事は有料記事です。残り375文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
この記事は有料記事です。残り375文字有料会員になると続きをお読みいただけます。