(みちのものがたり)白樺派が行き交ったハケの道 千葉県 手賀沼の近く、芸術家が集う

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 1914(大正3)年9月。千葉・我孫子の農村に、1組の若い夫婦が東京から引っ越してきた。

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 柳宗悦と兼子。のちに「民藝(みんげい)」の語を生み出し運動を率いる宗悦は当時25歳。雑誌「白樺(しらかば)」の中心メンバーで、宗教哲学、科学、芸術を縦横に論じ、ロダンやゴッホなど最新の西洋美術を積極的に紹介…

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