(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)公教育の本義、問う姿勢見せて 高村薫

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 折しも新型コロナウイルスの感染拡大で学校の休校が長引くなか、教育にまつわるさまざまな課題が浮かび上がってきています。私自身はすでに学校とは無縁の年齢ですが、昨年末、大学入学共通テストへの民間の英語試験や記述式問題の導入の是非が話題になったころから、この国の公教育の混迷ぶりに一抹の危機感を覚えるようになりました。

 現場の教師や高校生たちが先頭に立って撤回を求めるような教育改革を、いったい誰が何のために推進したのか。各紙の報道によれば、詰まるところ先端技術で世界に大きく遅れてしまった日本の現状を打破したい経済界と政府の、即戦力の人材育成を求める声が新たな公教育の方向性に影響したようです。

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 本年度から小学校の新学習指導要領で必修となったプログラミング教育も、公教育の視点に立った意義の検討より民間事業者の参入が前面に出てきています。現に3、4月の朝日新聞に載った「プログラミング狂騒曲」(全4回)は、経済面の「けいざい+」の記事でした。読者の反応も、いまや相当数の子どもたちが習い事としてプログラミング教室に通っている現状がある一方で、「普通の子どもたちの話でなく、一部の特出したできる子の話」(40代女性)といった戸惑いが見られました。

 学校と生徒一人一人をオンラインで結ぶ「GIGAスクール構想始動」(全2回)についての反応では、「実際にPCの授業を受ける子どもたちがどう思っているのかをメインに報道してほしい」(10代女性)といった声もありました。双方向型の遠隔授業を実施しているのが休校中もしくは休校予定の1213自治体の5%という文部科学省の調査もある現状では、多くの読者にとって実感が薄かったかもしれません。

 2018年度に始まった教育のICT化に向けた環境整備5カ年計画も、昨年末に閣議決定された全小中学生にIT端末1人1台という目標も、自治体ごとの進捗(しんちょく)状況に著しい差がある上に、教育現場もすべてがICT機器の扱いやプログラミングの指導に習熟しているわけではありません。そういう状況の下、ICT化が進んでいる学校の、最先端の遠隔授業の様子ばかりが報じられれば、そうではない学校に通う子どもや保護者には不安や焦りが生じるでしょう。あるいは、あまりに世界が違いすぎて、切実な関心事にすらならない恐れもあります。

 教育は、置かれている立場によって事情が大きく異なるため、新聞としての伝え方が難しく、読者の受け止め方も分かれるのが常です。とくに現政権下で進む教育のICT化、学習指導要領の改訂、大学入試改革などの記事でその傾向が拡大しているようですが、これはさまざまな教育格差によって、結果的に教育についての国民の関心が分散していることの証しではないかと思います。言い換えれば、プログラミング教室の隆盛やGIGAスクール構想の先端事例を伝えるだけでは、自分には関係ない世界の話だと受け取る読者が少なからずいる、ということです。

 また逆に、3月から続く学校の休校は当の子どもだけでなく、非正規などで働く親たちを経済的に追い込んでおり、折々にその切実な窮状を伝える記事も出るのですが、そうした貧困の現状はこれまた教育の問題を教育の問題として捉えることを難しくさせているかもしれません。

 そして、各方面からは休校による授業の遅れと格差を解消するためとして、唐突に9月入学を求める声なども上がってきていますが、ここでも足りないのは公教育のあり方についての地に足のついた議論です。政治や市井の識者から上がってくる声は、おおむね単純な賛否の表明にとどまっており、残念ながら新聞を含めたメディアはそれらを随時拾いこそすれ、課題を整理して掘り下げる姿勢は弱いのを感じます。

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 いま、「コロナ後」という言葉が浸透しつつありますが、公教育の「コロナ後」がICT化や「GIGAスクール構想」の加速だというのは早計でしょう。未曽有の景気減速で私たちの暮らしが確実に苦しくなってゆくときに、地方自治体がICT導入やIT端末支給を最優先にする可能性は低いのが現実だからです。また、コロナ後の世界は人間の価値観を大きく変えるだろうと言われており、ICTやAI、5Gを優先した成長戦略は軌道修正されてゆく可能性もあります。そう、プログラミングの習熟がそのまま新しい時代に求められる学力となるか否か、誰も分からないのです。

 4月のオピニオン面「専門誌に聞け」で取り上げられた「大学への数学」(全4回)で、横戸宏紀編集長のこんなご指摘が印象的でした。数学は基礎を学んだ後、紙の上で問題をひたすら「ゴリゴリ解いてゆく」ものであって、昔の学生のほうが計算力はあったというのです。経済原理ではない、教育の本義を考える記事が必要な時期ではないでしょうか。

 ◆たかむら・かおる 作家。「マークスの山」で直木賞受賞。著書に「太陽を曳く馬」「土の記」など。1953年生まれ。

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