(社説)芸術祭の中止 うやむやは許されない

社説

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 広島県尾道市などで今秋予定されていた国際芸術祭「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」の中止が決まった。新型コロナウイルス禍が理由だというが、額面どおりには受け取れない。うやむやな対応は将来に禍根を残す。

 県が2月下旬、展示内容を事前に確認する方針を打ち出し、美術関係者からは「公然たる検閲」といった批判や懸念の声が上がっていた。企画統括の総合ディレクターが辞任を表明し、参加予定だったが出展をとりやめる意向を示したアーティストも多数いるという。

 湯崎英彦知事は、行政当局ではなく、新設する外部委員会が確認する仕組みであり、検閲との指摘は当たらないとした。だが、その委員会は観光や地域経済などを含む各分野のメンバーで構成され、原則として全員の同意がなければ出展を認めないというものだ。多様な表現のゆりかごであるはずの芸術祭にはおよそそぐわない手法で、受け入れられるものではない。

 昨年大きな波紋を呼んだ「あいちトリエンナーレ」の企画展に加わった作家たちの作品を、プレイベントに登場させたところ、多くの批判が寄せられたことが、唐突な「事前確認」方式につながったようだ。

 「あいトリ」は、表現の自由の重要性、芸術監督の権限と責任、行政がすべきこと・してはいけないことなど、多くの問題を提起した。その教訓を正しくくみ取らず、むしろその逆を行った揚げ句、暗礁に乗りあげたというのが実態ではないか。

 観光客の誘致や地域おこしをねらった芸術祭が花盛りだ。それ自体は悪いことではないが、集客第一、トラブル回避の発想で、既成の価値観や常識に沿う作品を展示するだけでは、新しい文化は生まれない。ましてそのために検閲まがいの事前審査を導入したらどうなるか。民主主義の土台である表現の自由は名ばかりとなり、国際芸術祭と銘打ちながら国際的な信用も失ってしまうだろう。

 近年、美術展や映画祭などをめぐり、表現活動を抑え込む動きが目につく。様々な意見や苦情が寄せられ、警備などの業務にも万全を期す必要がある自治体の苦労は理解できる。だが、事なかれ主義に流れた先にあるのは、生気と創造力を失った社会であり、地域だ。

 「あいトリ」では、批判や抗議に出展者らが直接耳を傾け、新たなコミュニケーションの回路を切り開く成果もあった。広島にもまだ多くの可能性が残されているはずだ。コロナ禍が収束した後に向けて態勢を立て直し、あるべき芸術祭の姿を探ってほしい。

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