(社説)五輪1年延期 コロナ収束が大前提だ

社説

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 東京五輪パラリンピックの開催が、「1年程度」延期されることになった。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長と安倍首相が合意し、IOCの臨時理事会も満場一致で承認したという。

 「延期を含めて検討」「4週間をめどに結論」との方針が打ち出されてからわずか2日。まさに電光石火の決定だ。年内開催、2年延期などの案も取りざたされたが、なぜ1年延期を適当と判断したのか、それぞれのメリット・デメリットをどう勘案したのか、詳しい説明がないままの表明となった。

 新たな開催時期を固めないことには、延期に伴う様々な課題の解決策も見いだせない。不安を募らせる各国の選手たちを落ち着かせたい。そんな事情もあったのだろうが、「中止」だけは何としても避けたいIOCと日本政府の思惑が、早期決着で一致したと見るべきだ。「21年夏」で動き出せば再延期は考えられない。両者は大きなリスクを背負ったことになる。

 待ち受けるのは、これまで6年かけて準備してきたもろもろを、たった1年でつくり直すという厳しく困難な作業だ。他の国際大会との日程調整に始まり、競技会場や運営ボランティア、宿泊先、輸送手段などの再確保、警備計画の見直しなど、挙げていけばきりがない。

 最大の課題がコロナ禍の収束であるのは言うまでもない。首相がいう「最高のコンディション」「安全で安心な大会」を実現する大前提である。日本はもちろん、全世界でこの問題が解消していなければ開催はおぼつかない。国内対策の推進とあわせ、開催国としてどのような貢献ができるか、しなければならないか、政府は検討し、実践していく必要がある。

 財政問題も重要だ。ただでさえ総経費が当初言われていたものより大きく膨らんでいるなか、延期によってどれだけの額が上乗せされるのか。それを誰が、どうやって負担するのか。都民・国民の財布を直撃する話だ。見通しをできるだけ早く示すことが求められる。

 この国では、目標の達成を優先するあまり、正当な疑問や異論も抑えつけ、強引に突き進む光景をしばしば目にする。そのやり方はもはや通用しない。情報の開示―丁寧な説明―納得・合意の過程が不可欠だ。

 一連の経緯を通じて、テレビ局やスポンサーの巨大資金に依存し、肥大化を続けて身動きがとれなくなっている五輪の姿が浮かび上がった。仕切り直し開催に向けた準備とは別に、五輪のあり方を根本から考え直す機会としなければならない。

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