(五輪をめぐる)銀と銀:4 高地なら君原、訴えていた恩師

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 もしも八幡製鉄監督の高橋進の熱意がなかったら、君原健二メキシコ五輪のマラソンを走れなかったかもしれない。この大会の代表選考はもめにもめた。

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 五輪本番を半年後に控えた1968年4月14日、琵琶湖畔で開催された最終選考会の毎日マラソンで宇佐美彰朗(うさみあきお)(桜門陸友会)が優勝し、代表入りを決…

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