(社説)中東海域へ自衛隊 海外派遣、なし崩しの危うさ

社説

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 派遣の必要性にも、法的根拠にも疑義がある。何より国会でまともに議論されていない。自衛隊の海外活動の歴史の中で、かくも軽々しい判断は、かつてなかったことだ。

 安倍政権がきのう、米国とイランの対立が深まる中東海域への自衛隊派遣を正式に決めた。イランとの友好関係を損なわないよう、米主導の「有志連合」には加わらず、独自派遣の体裁こそとったが、対米配慮を優先した結論ありきの検討だったことは間違いない。

 ■明らかな拡大解釈

 派遣の根拠は、防衛省設置法4条にある「調査・研究」だ。日本関係船舶の護衛をするわけではなく、目的はあくまでも安全確保に必要な情報収集態勢の強化だという。これなら防衛相だけの判断で実施でき、国会の承認は必要ない。

 しかし、4条は防衛省の所掌事務を列挙した規定に過ぎない。「調査・研究」は主に、平時における日本周辺での警戒監視に適用されている。

 日本をはるか離れ、しかも緊張下にある中東への、長期的な部隊派遣の根拠とするのは、明らかな拡大解釈だ。

 一方、現地で日本関係船舶を守る必要が生じた場合は、自衛隊法に基づく海上警備行動を発令して対処する方針も決められた。限定的とはいえ、武器の使用も許される。政府は今のところ、防護が必要な状況にはないというが、いったん派遣されれば、なし崩しに活動が広がる懸念が拭えない。

 連立与党公明党は当初、「調査・研究」名目に難色を示したが、閣議決定という手続きを踏むことや、派遣期間を1年と区切り、延長の際は再度閣議決定して国会に報告することなどが盛り込まれると、あっさり追認した。しかし、これらが活動の歯止めとして有効に機能するとはとても思えない。

 ■国会論議を素通り

 憲法9条の下、専守防衛を原則とする戦後日本にとって、自衛隊の海外派遣は常に重い政治テーマだった。

 「私は閣議決定にサインしない」。1987年、イラン・イラク戦争でペルシャ湾に敷設された機雷除去のため、海上自衛隊掃海艇派遣をめざした中曽根康弘首相を、後藤田正晴官房長官はそう言って翻意させた。

 しかし、91年の湾岸戦争後のペルシャ湾への掃海艇派遣を転機に、自衛隊の海外での活動が繰り返されるように。そのつど9条との整合性が問われたが、時の政権は対米関係を優先し、自衛隊の活動領域をじわじわと拡大させてきた。

 米国が同時多発テロへの報復としてアフガニスタンを攻撃するとインド洋に海自を派遣し、米艦に給油した。イラク戦争の際は「非戦闘地域」と主張して復興支援活動を行った。

 ただ、これらは根拠となる特別措置法をつくっての対応であり、強引ではあったが、国会を舞台に国民の前で激しい議論を経ていた。既存の法律を無理やり当てはめた安倍政権の今回の手法は、それ以上に乱暴と言わざるをえない。

 政府は現地で米国と緊密に情報共有を進める方針で、この時期の派遣決定も、本格化する有志連合の活動と足並みをそろえる狙いがうかがえる。いくら、日本独自の取り組みであると強調しても、米国と一体の活動と受け止められる可能性は否定できない。

 安倍首相は先週、来日したイランのロハニ大統領に対し、自衛隊派遣の方針を直接説明し、「理解」を得たとされる。

 しかし、6月にホルムズ海峡近くで日本関係船舶など2隻が被害を受けた件も、いまだに誰が攻撃したのかはっきりしていない。軍事組織の派遣が現地の人々を刺激し、無用な敵を生み出す恐れもある。イラン国内にしても、革命防衛隊には強硬派もおり、一枚岩ではないと見られている。

 ■外交努力の徹底を

 日本から遠く離れた中東海域には、国内の監視の目が届きにくいことも懸念材料だ。

 現地情勢の悪化を受け、陸上自衛隊の部隊を撤収させた南スーダン国連平和維持活動(PKO)の教訓を忘れてはいけない。派遣後に内戦状態に陥ったが、防衛省はその事実を認めようとせず、部隊の「日報」は隠蔽(いんぺい)された。これでは情勢の変化に対応できない。

 そもそも今回の緊張の発端は、トランプ米政権が昨年、イランの核開発を制限する多国間の合意から一方的に離脱したことにある。事態の打開には、米国側の歩み寄りが不可欠だ。

 日本は原油の大半を中東地域から輸入している。緊張緩和のため一定の役割を果たす必要はあるだろう。だが、それが自衛隊の派遣なのか。米国の同盟国であり、イランとも友好関係を保つ日本には、仲介者としてできることがあるはずだ。

 この問題に軍事的な解決はない。関係国とともに外交努力を徹底することこそ、日本が選ぶべき道である。

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