(寂聴 残された日々:51)怖れるもの 「これ以上呆けたら」と独りごと

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 「死」は怖くない。五十一歳で出家した時、私は出家とは、生きながら死ぬことだと思っていた。それは「考え」ではなく、私にとっては、それは「感じ」だった。「考え」は、人に教えられたり、勉強したりして生まれるものだが、「感じ」は、自分の五体が自然にそう感じることで、自然発生的なものである。

 人のあまりしたがらない出家を、自分から進んでした時、私の本音は、実際に「死にたかった」のかもしれない。

 ところが出家してみたら、思いがけなく、私はすっかり丈夫になって、あれよあれよという間に、只今(ただいま)満九十七歳まで生きのびてしまった。

 毎年、まわりの肉親や友人たちがボロボロ死んでゆく。その度「私が代わってあげたかったのに」と心の中で叫んでいる。

     *

 出家して以来、「死」につい…

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