(社説)昭和天皇の言葉 改めて大戦考える機に

社説

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 その「おことば」が実現していたら、先の大戦を巡る天皇の責任論や国民の意識、そして近隣諸国との関係も違うものになっていたかもしれない。そう思わせる史料が明らかになった。

 終戦後の宮内庁長官だった田島道治(みちじ)が、昭和天皇とのやり取りを克明に記した文書を残していた。遺族の提供を受けたNHKがその一部を公開した。

 注目されるのは、サンフランシスコ講和条約の発効を祝う1952年5月3日の式典のおことばに、戦争への反省や悔恨を盛り込むよう、昭和天皇が田島に繰り返し求めていたことだ。しかし、戦争責任の追及や天皇の退位を求める声が大きくなるのを懸念した当時の吉田茂首相は、受け入れなかった。これまでの研究でもおおよそ判明していた話だが、詳細な経過が書き留められていた。

 反省・悔恨の内容や、その相手として誰を想定していたのかなど、文書だけでは判然としない部分もあるが、結局、おことばは「既往の推移を深く省み、相共に戒慎し」という具体性を欠く表現にとどまった。

 一つの区切りを逸して戦争責任問題は尾を引いた。侍従長を務めた入江相政に「朝鮮に対しても本当にわるいことをした」(82年)と話すなど、昭和天皇は非公式の場では植民地支配への反省に立つ発言もしていた。だが記者会見など公の席では慎重な姿勢に終始し、それが疑問や批判を招き、天皇自身を苦しめる結果にもなった。

 明治憲法下で「統治権の総攬(そうらん)者」とされた天皇の考えが明確に示されないまま、その地位にとどまり続けたことから、日本全体の責任もあいまいになり、負の遺産として刻まれた――との指摘は根強くある。今回の文書公表を、戦争に至った経緯や加害・被害について、改めて考えを深める機会にしたい。

 文書にはまた、新憲法により政治的権能をもたない「象徴」と位置づけられた自らがどう振る舞うべきか、模索し悩む昭和天皇の様子も描かれている。

 中でも再軍備のため改憲の必要を口にした天皇を、田島がいさめる場面は興味深い。憲法を理解する長官が、政治の対立に皇室が巻きこまれるのを避け、国民との安定した関係づくりに貢献したと見ることができる。

 全体を通じて、先行する研究と重なり、補強する記載が多いが、未公表の箇所に何が書かれているのか、人々が関心をもつのは当然だ。また、あくまで田島の目を通した天皇の姿であることも忘れてはならない。

 貴重な記録を社会で共有し、他の史料とも照合することで、歴史の真実に迫り、明日に生かす。その営みが欠かせない。

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