1945年8月の終戦は疎開先の青森で迎えた。当時9歳。昭和天皇による玉音放送は、雑音で聞き取れない。「負けたの」と聞くと、「そうでしょうね」と母。空襲も灯火管制もなくなり、夜が明るく感じた記憶がある。
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