(社説)西日本豪雨1年 復興への支援を息長く

社説

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 1年前の西日本豪雨は、死者が14府県で275人に達するなど、被害が広域に及んだ。

 大規模な浸水に見舞われた岡山県倉敷市真備町をはじめ、河川の氾濫(はんらん)や土砂崩れによって各地に深刻な被害が出た。とりわけ過疎化に悩んできた山間部は、いまも爪痕があちこちに残る。暮らしを取り戻す見通しすら立たない被災者も多い。

 そんな中でも、復旧・復興に向けたさまざまな歩みが始まっている。官民が連携し、息長く支えていきたい。

 13人の犠牲者が出た愛媛県宇和島市吉田町。「愛媛みかん発祥の地」と言われ、リアス式海岸を望む温暖な傾斜地に畑が広がる。海の照り返しを受けたミカンの味が評判となり、収入が安定するにつれて若手の後継者が増えつつあった。

 ところが、豪雨により町内のミカン畑は数百カ所で土砂に覆われた。崩れた山肌が今もむき出しのままの所が少なくない。

 被災した集落の一部は、園地を災害前に戻すのではなく、「再編復旧」を目指す。災害に強い産地にするため、被災しなかった場所も含めて造成し、傾斜を緩やかにする事業だ。

 費用は公費でまかなう仕組みだが、工事は数年がかり。ミカンは苗木を植えてから一定の収量を得るまで5年ほどかかる。被災農家ごとに復旧させる場合も含め、空白をどう埋めるかは大きな課題だ。

 地元の若手農家10人余は昨年末、産地復興を掲げて株式会社「玉津柑橘倶楽部(たまつかんきつくらぶ)」を立ち上げた。ネットで地元産のミカンやジュースの販売を促しつつ、苗木の育成を手がける。育てた苗木は復旧工事が終わった園地に移植し、未収期間を少しでも短くするのが狙いだ。

 宇和島市では、東日本大震災の被災地支援に実績がある東京のNPOと地元農協、資金を提供する民間企業による支援の枠組みもできた。被災農家の新たな試みをどう後押しするか、連携を深めてほしい。

 広島県呉市安浦町の市原地区は、山あいに広がる棚田や住居が広範囲に土砂に埋まり、3人が犠牲になった。「村はなくなった」との声も漏れたが、ふるさとへの思いは断ちがたい。災害前の半分弱、10世帯の21人が避難先などから戻り、一部の水田では今年、田植えができた。

 被災者を支えているのが、今も週末には数十人の若者らが集まるボランティアだ。地区の状況や作業の様子をSNSで発信し、寄付を呼びかけるなど被災者とのつながりを深めている。

 被災者をさまざまな形で支え、ともに一歩を踏み出す。復興への手がかりは、試行錯誤からしか得られない。

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