(社説)阪神支局事件 危うい「反日」の氾濫

社説

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 兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った男に襲われ、記者2人が殺傷された事件から、あすで32年になる。

 命を奪われた小尻知博記者(当時29)がよく訪れていた喫茶店が、隣の尼崎市にあった。在日コリアン2世の金成日(キムソンイル)さん(67)が事件の6年前、29歳の時に開き、差別への抗議や環境問題などに取り組む地域の市民が集っていた。

 金さんは、当時の外国人登録制度で義務づけられていた指紋押捺(おうなつ)を「植民地支配のあとも続く民族差別政策」として拒み続け、1986年11月、逮捕される。警察署内で警官に体を押さえられ、腕と指を固定する器具で強引に指紋をとられた。

 「反日」「不逞(ふてい)鮮人」。金さんの自宅や店に匿名の電話が相次ぎ、偽名の手紙も届いた。釈放された金さんに取材し、指紋押捺について問題提起する記事を書いたのが小尻記者だった。

 「反日」は、その半年後に起きた阪神支局襲撃をはじめ、一連の警察庁指定116号事件で繰り返し登場する。「赤報隊」を名乗る犯行声明文には「反日分子には極刑あるのみ」(阪神支局襲撃)「反日朝日は 五十年前にかえれ」(名古屋本社寮襲撃)などと記されていた。

 その言葉はいま、インターネットやマスメディアに氾濫(はんらん)している。政治家から一般の人々までが、名前や顔も公開しながら発し、テーマも隣国との外交問題から身の回りの生活課題にまで及ぶ。3年前、待機児童対策の遅れを「保育園落ちた日本死ね」と批判したネットへの投稿が「反日」非難を浴びたことは記憶に新しい。

 「反日」とは何か。「日」は社会か、時の政権か。「反」するとはどんな言動を指すのか。

 そうした点があいまいなまま、安易にレッテルを貼り、発言自体を封じ込め、排除しようとする危うさを「反日」ははらむ。「日本死ね」には一方で「表現が乱暴」といった批判が出たが、そうした意見のやりとりとは異質の「攻撃」がもつ危うさとも言える。

 「赤報隊がのぞむ方向へと世の中が変わってきた気がする」と金さんは話す。「非国民」という言葉のもとで、言論の自由が失われていった戦前の歴史を思えば、金さんの危惧もあながち杞憂(きゆう)とは言い切れまい。

 金さんは昨秋に店を閉じたが、今年もあす、地元で小尻記者の追悼行事を開く。

 国籍やルーツ、思想・信条などの違いを超えて、一人ひとりが互いに相手の考えを尊重しつつ、意見を交わす。日本国憲法が目指すそうした社会を、市民とともに作っていく。報道機関としての決意を新たにする。

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