拡大する写真・図版「仕事して家計を支えているのはお母ちゃんなのに、帰りが遅いとおやじ、怒りますねん」。父について語る桑原征平さん=2024年1月13日午後0時33分、大阪市、後藤遼太撮影

 あれは忘れもせん。小学5年生の時でした。

 正月と盆しか休みがない働き者の母に、父が「何が何でも今日は早めに帰ってこい」と言いました。夕方急いで帰ってきて母がご飯をつくると、父の「女」がやってきました。

 2人が食事するのを母と私は横で見ていました。酒を飲んだ父は「おい、布団敷け」と命令します。6畳間に布団の用意ができると、母に一言。「お前、今から征平連れて2時間、風呂行ってこい。時間前に帰ってきたら、承知せえへんぞ」

 2人で出かけて風呂から出ても、まだ1時間残っています。いま帰れば、父に殴られてしまいます。仕方がないから、家の近くの製材所の材木の上に母と並んで腰掛けて、寒空の下で待ちました。しばらくして、例の女の人が家から出てくるのが見えた。私は母に言いました。

 「お母ちゃん、何で別れへんの。僕ら兄弟、みんなお母ちゃんについていく。あんな怖い怖いお父ちゃんと、何で一緒にいんの」

 「お父ちゃんは必ず変わらはる。戦争行く前の優しいお父ちゃんに戻らはる。せやから、それまで辛抱したげような」

拡大する写真・図版4歳のころの桑原征平さん。母・フミさんと=桑原さん提供

 父・桑原栄は1907年、広島県で生まれました。10代のころ京都に出て、警察官になりました。勤務する派出所の前に住んでいたのが、母・フミです。母は小児まひで手足が不自由でした。父が見初めて「お嬢さんを下さい」と祖母に言うと、「この子は結婚できる体じゃない」と断られました。それでも「姿形はどうでもええ、優しい人柄にほれたんです」と食い下がったそうです。

 母は恩義を感じていたんでしょう。それに、当時の父は「優しい優しい人やった」とか。

 38年、父は陸軍兵士として中国へ出征し、1年後に傷病兵として帰ってきました。

【動画】父の暴力に苦しんできたという、フリーアナウンサーの桑原征平さん=後藤遼太撮影

逃げる人追いかけ、片腕をサーベルで

 私が生まれたのはその4年半後…

この記事は有料記事です。残り3087文字
ベーシックコース会員は会員記事が月50本まで読めます
続きを読む
現在までの記事閲覧数はお客様サポートで確認できます
この記事は有料記事です。残り3087文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
この記事は有料記事です。残り3087文字有料会員になると続きをお読みいただけます。