第21回戦後に拡大した野球の体罰 背景に勝利至上主義とは別のメカニズム
高校野球、アップデートしていますか? 脱暴力編
スポーツでの暴力的な指導がなくならない。そうした指導はいつ、どのような背景から発生してきたのか。そして、解決の糸口は。「体罰と日本野球 歴史からの検証」(岩波書店)の近著がある高知大の中村哲也准教授(45)=日本スポーツ史=に、野球を軸とした歴史的な視点から語ってもらった。
――なぜ、野球を通じ、スポーツと体罰の歴史的な検証をしたのでしょうか。
「きっかけは、2013年に大阪の桜宮高校で、男子バスケットボール部のキャプテンが顧問から受けた体罰などを理由に自死した事件です。歴史学者として、スポーツ界における体罰についての歴史学的なアプローチが必要だと考えました。私自身、小学校時代から大学まで野球をした中で、体罰やしごきは身近にあり、なんでこんなことを経験しなければいけないのか、疑問を持ちながらプレーしていました。そうしたこともあり、野球に関する多くの史料を通じ、研究を重ねました」
――野球界の体罰はいつから発生したのでしょうか。
「1920年代です。早稲田大学野球部初代監督の飛田穂洲(すいしゅう)が自ら『選手虐待の練習』と呼ぶほどの厳しさを求めていた、という史料があります。厳密に最初かどうかは証明のしようがないのですが、史料に残っている限りでは、その辺りだろうということになります。」
――野球はその前から日本で行われてきました。なぜその時期に発生したのですか。
中村准教授によると、体罰は戦後に拡大しました。そこには勝利至上主義とは別のメカニズムがあるといいます。
「東京六大学野球リーグは1…