2023年10月の朝、港の作業小屋は活気に満ちていた。水揚げしたばかりのアジやメバルが朝日の中でつやつやと光る。

 「メバルは3種類あるんよ。黒と小豆(あずき)色と金色。どれが一番うまいか、これは試験に出るどー」

 山口県上関町室津の漁師、小浜鉄也(65)が言うと、ウロコ取りを手伝っていた若者たちがどっと笑った。高島美登里(71)が魚を箱に詰めながらニコニコ見守る。とれたて鮮魚を消費者に直送する「上関お魚おまかせパック」。とびきりの鮮度と、何が入っているかわからないワクワク感が人気だ。

 町は40年以上、中国電力の上関原発計画をめぐって、予定地対岸の祝島(いわいしま)を中心とする反対派と、本土側に多い推進派に二分されてきた。小浜は推進、高島は反対だ。でも「てっちゃん」「みどりさん」と呼びあい、様々な事業を一緒に手がける。

 「みどりさんとは99%、一緒に行動できる部分があるわけよ。原発どうこうなんて1%。そこに労力を使って、仕事にまで持ちこんで、なんの得がある?」。小浜にとって推進派と反対派を隔てる「スイハンの壁」は、「またげる高さ。踏んづけてもいいくらい」だという。

 1982年に上関原発計画が浮上した時、小浜は24歳だった。推進を掲げる漁協の一員として漁業補償金を受け取った。厳しい町の財政には原発の交付金が必要だと考えた。

 一方で、何十年も町民が原発をめぐって対立するのにうんざりした。漁師仲間と始めた遊漁船も豊かな自然が売りだった。

 2011年3月、福島第一原発事故が起き、上関原発の工事は止まった。「正直ほっとした。原発はなけりゃない方がええ」と取材に答えた。

 そのころ、自然保護団体代表で…

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