父親はこの日も会場の片隅で、黙って息子を見つめていた。
選挙戦最終日となる21日夜、長崎県佐世保市。
衆院長崎4区補選に立候補した自民党新顔の金子容三氏(40)が最後のマイクを握った。
「負けるわけにはいかない。日本の未来を一緒につくっていきましょう」
かすれた声を振り絞った訴えを聴き終わると、父・原二郎氏(79)は近くにいた支援者らの肩をたたいてねぎらい、会場を後にした。
12日間の選挙戦。息子と並ぶ姿は、最後まで見せなかった。
約1年前。原二郎氏は容三氏から電話を受けた。
「政治家をめざす」
電話でそう切り出した容三氏に、原二郎氏は冗談めかして返した。
「政治家は相当な覚悟がいる。もう一回考えたらどうだ」
容三氏は当時、東京都内に本社のある証券会社に勤務していた。小学校卒業とともに佐世保市を離れ、地元での知名度は低い。
「政治の世界は思っている以上に大変だ。今のまま会社勤めの方が生活もよっぽど安定している。無理しなくていい」
父は息子にそう諭した。
容三氏の立候補について、原二郎氏は「俺は反対だった。だって政治家なんか大変じゃないか。2世、3世という風に決めつけられる。だから息子は出したくなかった」と語る。
金子家は長崎県では誰もが知る名門の「政治家一家」だ。原二郎の父・岩三氏は水産会社を経営しながら、県議を経て衆院議員を9期務めた。自民を代表する水産族議員で、農林水産相にもなった。
原二郎氏は勤めていた日本水産を30歳で辞め、県議になり政治の道に入った。39歳だった1983年、引退した岩三氏の強固な地盤を引き継ぎ、衆院議員に初当選した。
以後、衆院議員を5期、県知事を3期、参院議員を2期務めた。岸田文雄内閣で父と同じ農水相に就いた。
原二郎氏は、選挙の3バンと言われる「地盤、看板(知名度)、カバン(資金力)」を引き継ぐ世襲について、「僕の時代は世襲への批判はなかった。だけど今は批判される」と言う。
原二郎氏はさらに、容三氏は世襲候補とは違うと言い張る。
「僕までは2代(世襲)やけど…