リレーおぴにおん「鉄道150年」

 新橋―横浜に日本初の鉄道が開業した1872年は偶然にも、米国人教師ホーレス・ウィルソンによって野球が日本に伝えられた年です。かつては多くの鉄道会社が球団経営をしていたプロ野球。鉄道と野球はなぜ、どのように密接な関係だったのか。「プロ野球と鉄道」著者で、阪急ブレーブス東京応援団員だった紀行作家の田中正恭さんに聞きました。

 ――職業野球と呼ばれていたプロ野球と鉄道はかつて、どうして密接につながっていたのですか?

 「1936年に日本野球機構(NPB)のルーツである『日本職業野球連盟』が結成され、阪急軍や東京巨人軍など7チームが参加しました。プロ野球に参入する企業は、その時代の隆盛を誇る業種が多いのが特徴です。当時は新聞業界や電鉄。戦後は映画会社や食品業界も参入してきて、いまはIT系の企業が球団オーナーになるケースが多いですね」

 「戦中から戦後にかけて、当時は飛行機や車が一般的でなく、鉄道が主要な交通手段でした。日本全国に鉄道会社ができて、時代を牽引(けんいん)していたのです。セ・リーグ、パ・リーグと、現行の2リーグ制になった50年には、15球団中、じつに7球団が鉄道系でした。鉄道会社にしてみれば乗客を増やすために、球団と野球場を持つことで沿線の魅力を高める狙いがありました。阪急電鉄の創業者、小林一三(いちぞう)さんらが考え出したビジネスモデルです」

画期的だった新幹線移動

 ――一昔前のプロ野球遠征は夜行列車も利用して、大変だったそうですね。

 「広島の故・古葉竹識(たけし)元監督にインタビューした際、『ナイターの終わった後、着替えている暇もない時はユニホームのまま(夜汽車に)飛び乗った』と回想していました。西鉄や広島など、地方球団ほど負担が大きかったのです。それが、新幹線が開業してから変わりました」

 「広島にとっては、75年の球…

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