御嶽山の噴火から8年 2年ぶりの追悼式

高億翔 安田琢典
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 【長野】御嶽山(3067メートル)の噴火災害から8年を迎えた27日、ふもとの王滝村で開かれた2年ぶりの犠牲者追悼式で、遺族ら約40人は奪われた命を悼み、行方不明者の発見を願って祈りを捧げた。不明者の家族らは、一日も早い立ち入り規制区域の捜索を訴え、災害を防ぐ取り組みの強化を求めた。

「不明者捜索 進めて」

 追悼式では、8年前のこの日に息子の英樹さん(37)を亡くした堀口純一さん(76)が慰霊碑の前で追悼文を読み上げた。「8年がたち無念さが消えるどころか増している」と思いを明かし、「二度とこのような災害が起きないよう気象庁や自治体は真剣に取り組んで頂きたい」と求めた。

 死者・行方不明者計63人を出した戦後最悪の噴火災害。昨年は新型コロナの感染拡大で追悼式が中止され、2年ぶりの開催となった。慰霊碑がある王滝村の松原スポーツ公園には、噴火時刻の午前11時52分に鐘とサイレンが鳴り響き、参列者が黙禱(もくとう)をささげた。

 噴火からすでに8年。行方不明者の発見を願い続ける家族が求めるのは、多数の被害者が出たものの今も火口付近で立ち入り規制が続く八丁ダルミの捜索だ。

 被災者家族でつくる「山びこの会」のシャーロック英子事務局代表は「遺族の心情のためにも(八丁ダルミの)捜索の機会は重要」と話す。

 家族が規制区域内を捜索できるのは、今も自治体の許可を得た場合に限られている。シャーロックさんは追悼式後、「行方不明者の捜索がぜひ一歩でも前進してほしい」と参列した阿部守一知事に訴えかけた。阿部知事は、「一般の人が登山する前に何らかの手がかりを確認したい」と応じた。

 行方不明になった愛知県刈谷市の野村亮太さん(当時19)の叔父、正則さん(59)は、21日に自治体の許可を得て八丁ダルミ付近を独自に捜索したが、手がかりはなかった。「今年こそと思っていたが、また1年待たせることになってしまった」と話し、「亮太は家に帰りたがっていると思う」と、来年の捜索にかける思いを吐露した。

「毎日、泣かぬ日ない」

 神奈川県秦野市の佐野満寿子さん(77)は、娘の佐野秋乃さん(当時36)を失った。「今でも毎日、泣かない日はない」と話した。秋乃さんとは姉妹のように仲が良く、よく旅行にも出かけた。「活発な子。登山を始めた矢先に被害にあって。自分の寿命が短くなってもいいから、会いたい」と涙を流した。

 噴火で息子の洋さん(26)を亡くした横浜市近江屋勇蔵さん(73)は、「4年前には山頂まで登ったが、年もあるからこれからは難しいかも」という。ただ、「息子が登ったルートと同じ道をたどって行きたいという気持ちはある。ここに来ると、息子に少しでも近づけるような気がする」と思いをはせた。妻の初子さん(69)も「来年は王滝村からも山頂に行けるようになると聞いているので、足腰が丈夫なうちに行きたい」と話した。

 長山幸嗣さん(52)は、小学生だった照利さん(11)を亡くした。「照利はナイチンゲールを読んで感動し、医者になる夢があった。生きていれば19歳。当時の夢を追い続けているか分からないが、照利だったら貫いて、人助けになるような、人に尽くす道に進んでいったと思う」と語った。

 追悼式は、被害を防ぐことができたかどうかをめぐる司法判断が、今年7月に下されてから初めての開催となった。遺族ら32人が国と長野県に損害賠償を求めた訴訟で、長野地裁松本支部は、検討を尽くさないまま噴火警戒レベルを据え置いた気象庁の判断が違法だと認定した。一方、レベルを引き上げていても被害を防げたとは認められないとして、遺族らの請求を棄却した。遺族ら原告団は東京高裁に控訴した。

 現地では災害の教訓を伝えるための取り組みも進む。8月に御嶽山のビジターセンターが木曽町と王滝村の2カ所で開館。噴火を伝えるモニターや遺留品が展示され、災害の記憶を次代につなぐ。9月には、活火山登山への防災意識を高めてもらおうと噴火後に設置したシェルターを使う避難訓練が初めて開かれた。

 当初の予定より立ち入り規制の解除が遅れる八丁ダルミにも、シェルター設置が予定される。安全が確保されれば来年にも規制が解除される見通しだ。

 安倍晋三元首相の国葬を欠席して参列した阿部知事は追悼式で、「火山防災対策の更なる充実と地域の振興に全力を尽くしていく」と決意を述べた。(高億翔、安田琢典)

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